成すも成さぬも 今を楽しめ

この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

田中と菅沼

 遠藤周作「留学」を読んだ。

 

 「基督教を信ずる東洋人」であることを強制された工藤、西洋に留学しながら西洋人に慣れなかったトマス、日本とヨーロッパの板挟みの中で、さらに文学者である自分と実社会に生きる自分の板挟みにあう田中……とりわけ私の心を掴んだのは、最終章「爾も、また……」に登場する田中と、彼に対となる人物像として描かれる菅沼である。

 

 田中は巴里でヨーロッパの伝統を見せつけられ、日本人としてのアイデンティティを刺激されるが、自らの研究対象であるサドはそのヨーロッパの伝統に対し、ヨーロッパの中から対抗した人物であり、ヨーロッパが理解できぬ以上サドが理解できぬことに苦しむ。日本人がなぜサドを研究するのかという問いかけに答えられない文学者としての田中がいる一方で、文学者として妥協できないが故に、他の日本人との関係を発ち、体を病み、出世に悩み、女はできず、それらのことに心を動揺させる実社会に生きる田中がいる。

 

 ここで「他の日本人」と書いたが、作中には様々な種類の日本人が登場する。ヨーロッパを理解せんと果敢に挑み、肺病を患って敗残兵として帰国する向坂に対し、ヨーロッパに挑むも作家として二流であることを自覚し、自嘲しながら帰国する眞鍋。自分の才能の矮小さを認められず、かといってプライドのゆえに帰国もできずにずるずると巴里に住み続ける藤堂、日本人としての自分を捨てようとして、フランス人でも日本人でもない半端な存在となった小原……様々な日本人の中で、特に田中と対比的に描かれるのは菅沼である。

 

 田中の一年後輩にあたる菅沼は、出世コースに乗り、学者としての知名度も着実に上げ、巴里留学に際しても、迷いなく日本で立ててきたプランを実行する。田中は実社会において、学者としても、留学生としても、男としても敗北を喫する。

 

 だがもちろん、作者遠藤周作が菅沼でなく田中の生き方を理想として描いていることは明白である。遠藤が田中という登場人物に、あるいはこの「留学」という作品自体に様々な意味を込めていることは明白だが、本稿ではその一部分にのみ言及するし、私にはそれしかできない。

 

 まず大原則として、田中の学問に対する姿勢は非常に「真面目」である。私はそもそも学部生で、専門は仏文ではないし、他国の文化を扱う苦しみに血肉の通った共感を寄せられるわけではないが、それでも「なぜ学問を(特に専門としようとしている学問を)やるのか?」という問いは絶えず付きまとってくるものであろう。研究はすごろくではないのだから、菅沼の言うように「プランを一つ一つこなしていく」というようなことは稀であろう。

 また、少なくとも近現代の日本人については、学者といえど学問だけをしていればいいという訳ではないから、実生活における様々な悩みも持ち上がってくる。出世ができない、女を知らないという悩みは私も多少形を変えれば持っている悩みである(ここのところが作中ではプルーストやサドと対比されて描かれている)。学者として生きようとする一方、俗世の悩みを捨てきれないところに、田中の人間味と不幸がある。

 

 もちろん、作中の時代は今とはだいぶん様相が違うが、それでも現代にまで通ずる内容が含まれている。私はここから2つの内容について述べたい。1つは前回と被ってしまって申し訳ないが留学について、もう1つは学問についてである。

 

 留学について言えば、今少なくとも日本で盛んに言われている「留学」は、菅沼のそれであろう。留学前に建てたプランを一つ一つこなし、留学中に精神的にも肉体的にも「成長して=太って」帰ってくるのである。これはとどのつまり、作中で指摘されているように、何かに目を瞑って帰ってくる留学である。ヨーロッパ中心主義は没落したとはいえ、アメリカでもアジアでもアフリカでも、その国々の文化の諸相というものは日本のそれとは多少なりとも異なるものである。そこに目を瞑り、留学の成功体験や成果を発表する。語学留学でも交換留学でも学位留学でも、ともかく目に見える成果というものを求められる留学はこうした菅沼式留学であると思う(自然科学系の学問を扱う人間の留学に関しては趣が異なるであろうことはここで指摘しておく)。

 しかし、田中のように異文化について悩み、異文化という河に健康を犠牲にしてでも挑もうとすることこそ、少なくともそこから何かを学ぼうという人間が持つべき態度ではないか。異文化の中で生活するということは、必ずしも楽しいことばかりではないだろう。目を背けたくなる現実に、それでも挑んでいくという姿勢こそ讃えらるべきで、挑むことはおろか、異文化という河の大きさに終ぞ気づかないまま留学を終えているであろう人間のなんと多いことか。

 遠藤周作の時代と今では留学の意味合いが異なるとはいえ、これではまるで今の留学は大きな旅行のようなものだ。菅沼は巴里を楽しい世界と認識し、土産をたくさん買って帰国するだろう。帰国後も留学経験を活かし着実に出世していくに違いない。しかしそこには、少なくとも学問的な観点から見れば評価すべき点は何もない。そして実社会的な視点でみれば菅沼がとても現代的バイタリティに溢れた素晴らしい人間のように見えてしまうことが、逆に現代社会のグローバル化にまつわる問題を浮き彫りにしているようにも感じられる。

 

 また学問について言えば、田中の苦しみは特段外国文学者や留学生に限定されるものではない。学部生の分際でこのようなことを述べるのは非常に烏滸がましいことであるが、どんな分野であれ、学問というものに少しでも携われば、古今東西の学者たちの知の集積のとんでもない量と質に驚かされる。かつてニュートンは先人たちの叡智の蓄積をして、「巨人の肩の上に載っているよう」と評したとされるが、ニュートンのような天才なら肩の上まで一足飛びに駆け上がれようが、凡百の人間からすれば、頭が何処にあるかもわからないような巨人を前にして一歩ずつでも登っていこうという気力が持つかも疑わしい。そもそも巨人を前にしていると認識していない人間も、今日のキャンパスにはそれなりの数存在する。

 この巨人を前にして、肩の上に乗ることのできる一握りを除いて、多くの人間ができることは、「留学」で向坂が巴里の歴史ある石への日本人の態度として指摘したように、まったく無視するか、器用に猿真似するか、挑もうとして轟沈するかである。いま、私は愚かしくもこの巨人に挑もうかという気を持ってしまっている。そして、今は限りなく猿真似に近いことを行いながら刃を研いでいる状態である。まだ若いために、このまま行って肩の上まで辿り着けるのか、それとも途中で轟沈するのか。それはわからないが、なるべくなら幸せになりたいものだと思う。

 

 田中は全く文学者として真面目で、実社会では評価される人間ではない。しかしよしんば実社会で評価されるにしても、菅沼のような人間にはなりたくない。菅沼には全てがあるように見えて、中心が空虚である。そして空虚であることにも気づかないところに虚しさがある。田中も空虚であることには変わりないが、その中心を埋めるべく苦しんでいる。苦しみたくはないが、私もまた、中心が空虚であって、それに目を潰れない以上は苦しまねばなるまい。田中のサドに、プルーストになれぬ点は、実社会に対し超然とした態度を貫けぬ点であった。私の周りにもプルーストの卵がいるが、しかし私はそうはなれそうにもない。菅沼に、小野に囲まれながら、彼らを軽蔑しつつも嫉妬しながら生きている。田中が「向坂が病気で帰国したことは彼にとって幸せであった」と評したように、やはり私にも病気で帰国することが幸せなのかもしれない。しかし帰国する先がないから、やはり志半ばで倒れることは斃れることを意味するのか。ニュー・シネマ・パラダイスアルフレードが言うように、人生は映画でのように簡単ではない。悩み続けながら生きるしかないのか。しかしこんな日々は余りにも辛すぎる。