成すも成さぬも 今を楽しめ

この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

「四畳半」神話へようこそ

※ネタバレを含む可能性があります。

 

 友人を家に招いて、ひょんなことから四畳半神話体系(以下、「四畳半」)を見ることになった。2010年の夏アニメだったと思うので、ちょうど8年ほど前のアニメである。一度見てからその魅力に取りつかれ、なんだかんだ年に1度以上は見ている気がする。

 

 そして私の中で四畳半は単なるアニメ以上のもので、「薔薇色のキャンパスライフ」の象徴であった。不平不満を溢しながらも不毛なキャンパスライフを全力でエンジョイする「私」の姿に、中学生・高校生の私は、「なるほど大学というのはこれほど楽しめるポテンシャルのある場所なのか」と、ある種の無邪気さの下で期待に胸を膨らませていたように思う。

 

 もちろん、四畳半の主題はそこにはない。「『薔薇色のキャンパスライフ』などというものは存在せず、たとえ不毛に思えても何かに打ち込み、周囲と交流し、『好機』を掴むために手を伸ばし続けることが重要」という主張こそが作品の核であろう。

 

 翻って、東京の大学に単身通い始めるようになって2年以上経ったという現実に目を向けるとき、そこには薔薇色でも不毛でもない「私のキャンパスライフ」が横たわっている。今や、私は大学の3年生である。「3回生」ではなく、「3年生」なのだ。悪友はできずとも友人はできたし、サークルにも所属し、海外にも行った。それそれで悪くないものだとも思う。しかし、かつての私が夢想したキャンパスライフは手に入らなかった。それはとても当たり前のことであって、つまり至極当然のこととして、私の夢は叶わなかったというわけだ。

 

 京都に進学しないと決めた時点で、四畳半という「神話」を再現することは不可能であると察してはいたが、それでもヘラクレスに憧れたアレクサンドロスのように、またアレクサンドロスに憧れたナポレオンのように、自分なりに「神話」をなぞることはできると考えていた。ところが現実はそう上手くはいかない。しかし、いかに突拍子のない馬鹿げて非現実的なものであっても夢は夢であって、諦めねばならないと思えば、多少のほろ苦さが口の中に広がる。

 

 四畳半を見るとき、私は「私」の薔薇色のキャンパスライフとともに、かつての私が思い描いた「私のキャンパスライフ」も同時に見ているのだ。とても面白いアニメを見たという満足感の中に、少しの寂しさを今感じているのはそれが原因なのだろう。四畳半という神話を離れることはできても、忘れることはきっと一生できないのだろう。

 

 

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