成すも成さぬも 今を楽しめ

この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

学歴絶対主義アメリカとその妥当性

 今日は海外大学院留学説明会を冷かしてきた。「海外」といいつつアメリカ偏重なのはいつものことで仕方のないことだと思うが、スピーカーは皆アメリカの大学院、しかも名の知れた大学の院出身・在学者ばかりであった。

 

 「院卒でもキャリアパスは豊富です。アカデミック以外にも企業や起業、国際機関などにも……」という発言があり、噂には聞いていたがやはりそうなのかと期待を持つ一方、アメリカはやはり学歴社会で、それがある程度妥当性を持っている分余計にいやらしいなと感じた。

 

 優秀な大学には優秀な人材が集まる。優秀な人材は更なる名声とカネを生み、結果さらに優秀な大学になる。という、優秀性の拡大再生産とでもいうべき現象が起こっており、彼らの言う「キャリアパスの豊富さ」もこの優秀性に支えられてのものだろう。また、試験一本で決まるというスタイルでもなく、「人間性」というあいまいなものを見られる新卒採用式でもないため、総じて日本の制度よりは評価に多様性が生まれるのかなとは思う。

 

 また、カネがある分、結果を出している間はサポートも手厚い。土下座して教えを乞うという方式ではなく、ある種対等な契約関係に基づいているのもアメリカらしい気がする。

 

 

 しかし、その評価される「優秀さ」を自分が持っているか、身につけていけるかと言われるとこれも正直自信がない。結局がんばりましょうという話なのだが、目先の統計すら覚束ない。自分のどうしようもなさが恨めしい。