成すも成さぬも 今を楽しめ

この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

18日目:立ち位置と英語力に悩む

 前回までの記事の日付の日数はどうも間違っていたらしい。8月24日スタートでカウントしているので、もし気になる場合は適宜読み替えてもらいたい。

 

 図書館に行って、フィンランド人の友人と昼食を食べ、彼女の家にお呼ばれしグダグダと雑談していたら一日が終わった。そこでも話題になったのが、私の立ち位置、身の振り方をどうすべきかという問題である。

 

 ここにいるのは大半がエラスムスの学生、つまりヨーロッパ圏からの学生であり、日本人を含むアジア圏の(交換)留学生は少数である。よって必然的に日常的にはヨーロッパ人と交流することが多くなるのだが、その結果として日本人学生とは疎遠になっている。

 

 むろん、日本人学生と交流したくないわけではない。しかし、パーティなどで見かける日本人は、だいたい彼らだけで固まっており、たまに他の国出身者と交流をしても、日本人が輪に入るというよりは異国人が日本人の輪に入っているという感じで、どうも私はそういうものを好きになれない。また、きちんと話したわけではないが、どうにも話が合わなさそうな人が多い。母国語の特性を生かして自然な会話ができるのに、内容がお粗末では非常に虚しいではないか。また日本人男性ではなく女性が圧倒的多数であるのも理由の一つかもしれない。欲しいものは話の合う同性の同郷人である。そういうわけで私は明確な日本人の「友人」を未だに作れていないのであるが、一方でヨーロッパ人とも完全に馴染めているとはいえない。

 

 一口にヨーロッパ人といっても様々な国の出身者がいる。私の周りにいるのはフィンランド人、フランス人、ドイツ人、オランダ人、デンマーク人、チェコ人で、やや遠い位置にイタリア人、セルビア人、アルメニア人などがいる。これだけ並べると多様性がありそうな感じがするが、EU加盟国が28であることを考えるにやはり偏りがあろう。またそれぞれの国から2人以上が一番小さな「仲良し」グループに参加しており、そのなかで私だけが非白人かつ国籍的にぼっちである。

 

 もちろん、それはそれで利点もある。同郷人の目を気にしないで活動できるのはなかなかありがたいことだし、オンリーワンということで注目してもらえることもある。しかしヨーロッパ人のただなかで、彼らの猿真似をして過ごすのは必ずしも本意ではない。

 

 彼らの文化は尊重したい。パーティも規模によっては楽しいものだと思うし、ナイフとフォークの使い方ももう少し上手くなれればなと思う。しかし、日本人/アジア人/黄色人種としてのアイデンティティをどこで発揮すればよいのかという点についてはしばしば壁にぶつかるのだ。異なる行動は常に排斥のリスクを抱えている。またヨーロッパは多くのものを共有している。しかしいくら現代でも日本とはやはり異なる社会であろう。フィンランドにおいて例えばフランス人らしさを発揮することと、日本人らしさを発揮することでは前者の方が簡単なのではないだろうか。実際「おらが国では」的な話には違いすぎて入れないことがたまにある。

 

 私は何も、毎日おにぎりを弁当に持って行って食事の際は必ずマイ箸を使うとか、そういう風なステレオタイプ的日本(アジア)人になりたいわけではない。しかし議論においてその大きさに関わらず、思想の前提が全く異なる場合に、その思想的背景を紹介したいのである。しかし、それを阻むのが英語力である。

 

 最近改めて気づいたことだが、私の英語は雑談スキル中級、アカデミックスキル初級といったところで、バカ話をしている間はそれなりに会話に入れても、議論などでは緊張も手伝ってなかなか喋ることができない。そのせいで会話を聞き取るのに必死だったり、言うことを考えている間に次の話に移ってしまうことがしばしばある。これが私の英語力の目下の課題であろう。

 

 生きていくのに精いっぱいだった時期がおそらく過ぎて、どうにかこうにか生活が固まってくると、必然的に欲の出てくるものである。交流だけでなく勉強も他の活動も頑張らねばならないのだが、一番怖いのは心身の健康を損なうことである。あまり無理をしすぎず、かとって現状に甘んじることなく行動していけたらと思う。