成すも成さぬも 今を楽しめ

この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

19日目:半径85cmがこの手の届く距離

 今日は授業を受けて、友人宅で天ぷら(偽)を作った。普通のスーパーにしか行けずクソみたいなクオリティのしょうゆ・TERIYAKIソース・小麦粉・やたら酸っぱい酢くらいしか調達できなかったのだから仕方ない。日本食を作れる環境を整えて、ホームパーティーとしゃれこみたいものである。

 

 そんな今日の出来事とは一切関係なく、昨日フィンランド人と話したことがまだまだ印象に残っている。個人を特定するような物好きもいないと思うので具体的に書くが、それは彼女とその彼氏の人生設計の話で、結婚をいつするかという話であった。

 

 フィンランドの男子には兵役の義務が課され、通常半年程度、より厳しい、または簡単な訓練は1年程度行われることもある。徴兵検査によってAから順に分類され、Cで兵役の免除、危険思想を持っていると判断された場合はカウンセリングを受ける義務がある(らしい)。友人氏の彼氏は徴兵検査に合格したらしいが、軍に馴染めず2週間で辞め、軍役のかわりとなるある種の奉仕活動(学校での事務や市役所の清掃業など、公的施設での雑務)に1年間従事する必要が生じたらしい。友人氏と彼氏は恐らく結婚するのだが、奉仕活動の前に結婚するのと後に結婚するのでは国から貰える補助金(?)の額がかなり違うため、彼女らは結婚を先延ばしにするらしい。"Life is not always easy"と溢す彼女は少し疲れているようにも思えた。

 

 ここでは東京よりも少し多様な人間模様を垣間見ることができるように思う。彼女のように結婚秒読みの人間がいると思えば、27歳2児の母の学部3年生やら、25歳修士1年修了狙いなどもいるし、交換留学生を加えれば本当に色々なことを考えてる人と既に出会ったような気がする。

 

 おそらく、東京にいたときの友人知人ももっといろいろな点で多様だったのだろう。私は今人の経歴を見てその多様性に驚いているわけだが、東京の同級生たちもある程度は異なる経歴を持って別々のことを考えていたはずである。もちろん全ての価値観を許容できるわけではないが、それでも「自分と他人が同じはずがない」という意識がもっと強くあれば、会話の内容そのものにもう少し興味が持てたのではないかと思う。もちろんこれは自分の側のみの問題ではないとも思うが。

 

 また、とある事情で高校の友人が中国のテレビに出ていたことを知った。ただただすごいと思うし、なんだか随分遠くへ行ってしまったような気もするが、これもたまたま同じ環境、同じ時空間を共有していただけで、彼我の思考は全く別だったのだ。

 

 とはいえ、彼ら彼女らに比べて、親の脛を齧り、恋人も作らず、友人もさしておらず、ヘルシンキくんだりまで来て遊び歩いている我が身の不甲斐なさを考えないでもない。しかし、今ここに私がいることは過去の私の選択の結果であって、これを変えることはできない。突然バイオリン奏者になることもできなければ、あの日あの時に戻ってああすることもできない。自分にできることはせいぜい今、この時の身の回りのアレコレを少しなんとかすることしかできないのだ。開き直るわけではない、しかし「たられば」を考えるよりは、今をしっかり生きることが頭脳にも健康にもよいのではないだろうか?