成すも成さぬも 今を楽しめ

この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

83日目:Japanese woman in the US

 今日はわざわざ隣町までバトミントンとフットサルをしに行ってきた。一度スポーツが好きですという顔をすれば、あれよあれよという間に色々な機会が増えていく。最も中身が伴っておらず、今日などはバトミントンでサーブを三回連続でミスしたり、危うくオウンゴールを決めそうになったが、さりとてある程度気心の知れた少人数グループであったため、それほど気になることもなかった。ともかくこれまでの人生で培ってきた、「球技が苦手すぎて人に迷惑をかけるので、自分が済まないと思うくらいならば最初からやらない」という連鎖を断ち切りたい。

 

 という表題とは全く関係ない近況報告をしたところで、最近会った大きな出来事であるところの、アメリカ帰りの院生インタビューをまとめてみたいと思う。同じ大学の理系出身で、いまフィンランド修士課程にいる先輩とひょんなことで知り合い、ぜひお話を、ということになった。いくらワールドワイドウェブの片隅とはいえ、本人の許可なしに書くことは忍びないが、備忘録的な意味でも文章にしておきたかったので、かなりぼかした形で書くことにする。

 

 学部卒業を控えた彼女は、両親の影響もあってアメリカの大学に進学することを考えていた。そこでGREやら推薦状やら色々な準備をして有名な大学の博士課程に出願し、誰もが名を聞いたことのある某大学に入学することになった。期待に胸を膨らませて向かったアメリカで彼女を待っていたのは、日本とは極めて異なる文化の洗礼だった。

 

 曰く、向こうの「セルフ・プロモーション」文化とでもいうのか、自分を主張しない奴に人権がないという空気があり、彼女はそんなマウンティングに全く馴染めなかった。授業で発言をしないとわかってない奴とみなされ、次に何か発言しようとしてもどうせ大したことがないんだろうと無視されたり、まともに取り合ってもらえなかったりする。英語が達者だという自負があっても、ネイティブの中でもエリートたちが織りなすマシンガン議論にはとてもついていけず、ますます無口になる。色々な事情で一番やりたいことを専攻にしていなかったこともあって、自分がその大学に所属している意義を見失ってしまった彼女は、体調不良の末に休学することとなった。

 

 とはいえ、やはりアメリカは研究する場所としてはかなり恵まれているとは彼女自身の言である。図書館は24時間開館しているし(フィンランド大学図書館は休日5時閉館)、研究室の設備も物凄い。プロジェクト一つで時に何億ドルというお金が使われたりする。「自分(達)が一番頭いい」という雰囲気についていけなかった彼女だが、西海岸を始めとして他の大学にいった友人の中にはそれほどそういった雰囲気を感じなかったという人も居たそうだ。

 

 日本に帰ってきてからは就職も考えたが、周囲からの励ましもあってもう一度研究の道を選ぶこととなった。学費・環境等の関係で今度はヨーロッパの大学に出願することにしたところ、イギリス・フィンランドスウェーデンが候補となり、合格した中で奨学金も充実していたフィンランドを選択した。

 

 フィンランドでの生活は私生活・研究生活ともに満足している風であったが、それでも幾らか嫌な思いはしたとのことであった。全ての修士課程は英語で行われることになっているものの、先生も生徒もフィンランド人の場合はフィンランド語で授業が行われることも多く、それが彼女のためだけに英語になってしまうときなどは、先生はともかく生徒からは白い目で見られることもあるらしい。また、修士を終えてからの進路も少し心配していた。このままフィンランドで博士に進むのか、それとも別の国へ行くのか。このままで研究者としての箔は付くのか。進学に際してはそれが悩みだという。

 

 またフィンランドと日本、アメリカと日本では学生の雰囲気がまるで違うらしい。フィンランド(を含めたヨーロッパ)では、年齢を特に気にせず、例えば2年生(20)と5年生 (28) が同じ授業を受けていたとしても、特に壁ができることはないそうだ。学びなおしや長年大学にいる人にも寛容なのに対し、アメリカや日本ではある程度の年齢を超えて就学していると変な奴の烙印を押されることが多い(彼女は競争社会であるか否かがポイントではないかと指摘していた)。さらに、日本では博士課程といえば「後が(または後も先も)ない奴」扱いだが、アメリカやフィンランドでは博士課程にいることがステータスになりこそすれ見下される対象になることはないらしい。博士課程であれば給料をもらっているので普通の社会人とさして変わらず、在学中に結婚したり子供が生まれたりする人もいるという。

 

 彼女へのインタビューの中で繰り返し登場したのは「ソーシャル・プレッシャー」という言葉だった。何歳までには何をしなければいけない、何々をしている奴は何々より偉いといったような意識がそれほどなく、自分がやりたいことをやるというフィンランドの雰囲気がなにより心地よいらしい。

 

 

 現状、勉強が全く手につかない身として、院進するなどとは口が裂けても言えるわけはないのだが、それでも将来のことをぼんやりと考えるとき、海外大学院という選択肢はなんとなく頭に浮かぶようになった。学力的にも英語力的にも経済的にも届くかどうかは不明だが、例え届いたところで万事オールオッケーではないということを他山の石としたい。「一時退却」という判断ができた彼女はとても勇敢だと思うし、私はきっと自滅するまで耐えてしまうんだろうとも思う。私も英語がネイティブばりというわけでもなく、セルフ・プロモーション文化にも耐えられそうにもない。これには根拠のない自信か、せめて根拠のある自信のどちらかが必要だろうが、あいにくとどちらも持ち合わせてはいないのだ。また出国してなおソーシャル・プレッシャーに悩まされている自分である。何をするにしても意識の変革から始める必要がありそうだ。また彼女の指摘している通り、フィンランドの居心地がいいのも事実である。これは交換留学というあらゆる責任から逃避できる存在であることが理由かもしれないが、そうやって精神的に余裕のあるうちにできることはやっておくべきだろう。

 

 

 

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