成すも成さぬも 今を楽しめ

この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

116日目:秋学期の総括

 いよいよ冬休みである。ここから3週間弱なにもしなくていいのだが、そんな状況に置かれると、ふと今までの休みのことが頭をよぎる。

 

 高校までの休みは置いておくとして、大学に入ってからは必ず何かしらの研修や授業を入れていた。そこでバイトでもしていればまた違ったのかもしれないが、とかく自堕落に休みを過ごすのが目に見えていたため、また行ったことのない海外というものに憧れていたというのもあって、各休みには必ず、各方面への迷惑を顧みずに1,2週間程度の予定を2つは入れていた。その結果として新しい友達ができたり、いい刺激を得られたりもした。とはいえ親の金に飽かせて遊び歩く大学生と何ら変わりはなく、そういう意味では高等遊民を気取っていただけとも言える。

 

 一方で、東京での日常は不仕合せではなかったが幸せでもなかった。それが日常と言われればそれまでなのだが、大学にせよ日常生活にせよ、ある時点での自分の決定がしばらく経ってから自分の足を引っ張るということが多かった。典型的なのは履修で、もうどうしようもなくなってから履修中の授業に興味を失ったり多すぎて右往左往したりということを毎回繰り返していた。また「よっ友」は多いけれども実際の友達は少なく、色々なことを一人でやることが多かった。とりわけ趣味に関してその傾向が強く、一人でできる遊びとして映画やら読書やらをしたり、美術館や銭湯やらに出かけていくことが多かったような気がする。きっと今振り返るよりは多くの人と交流していたのだと思うが、この場合大事なのは実際どうだったかではなく私がどう覚えているかなのだ。大学で授業に出て、出された課題に対処して、なにか気晴らしをして寝るというのが生活の基本で、時期によってどの部分に比重が置かれるかは変わるとしても、これ以外のことをしていたという記憶がない。大学は能動的な勉強の場とはいいつつ、授業さえ能動的に選んでしまえばはいサヨウナラといったところで、実際の勉強の過程は極めて受動的だったのではないだろうか。なにか自主的に勉強しようと思ってもその時々の忙しさを理由にサボりがちで、進捗は殆どなかった。

 

 また将来に対して漠然とした不安という、いかにも若者らしい悩みを抱えてもいた。結局生きがいというものを見つけられないまま、就職をするのか、院に進むのか、なにを目指して生きていくのか。そんなことをだらだらと考えては日々を過ごしていた。

 

 翻ってこの秋学期はどうだっただろう。右も左もわからないところから始まったが、今はかなり落ち着いている。最初は授業をたくさんとったものの、単位が必要なわけでもなく、自分の興味ど真ん中というような授業もなかったため、撤退に撤退を重ね、結果として今まで勉強というものを別段することもなく、のんべんだらりと過ごしてきた。アルバイトを探したものの結局見つからず、人と遊び歩くことが多くなった(遊び歩くといってもヘルシンキは遊ぶところが少ないため、人の家に行くことが多いのだが)。遊び仲間は大きく分けて他ヨーロッパからの留学生、フィンランド人学生、日本人留学生の3種類いた。最初はヨーロッパ人と遊ぶことが多かったのだが、だんだん後2つにシフトしていった。これはヨーロッパ人とは同じ授業を履修していた縁で仲良くしていた一方で、芬人、日人とはサークル的なところでの繋がりが大きかったためである。丸一日誰とも話さない、飯を食わないという日が殆どなくなり、今まで一人で行ってきた映画やら美術館やらには足を向けなくなっていた。自主的に勉強をするわけでもなく、毎日人と遊び歩くのは楽しくありつつも、ふとした瞬間にこれでいいのかと思うことが増えた。

 

 また、降って湧いたモラトリアムであるため、どうも現実味が低いというか、自分の社会的身分が宙ぶらりんで、将来について考えることはできても悩むことができなくなった。なにせ帰国してからの予定すら立っていないのだから、就職等のことなど考えられようはずもない。

 

 そんなような状況で、たまに東京での2年を振り返るのだが、これが面白いほどに何の感慨もない。帰りたいという気持ちもなければ、帰りたくないという気持ちもない。ただ、これほど人と交流する毎日を経験して、またあの日々に帰った時、寂しさに襲われはしないかという不安はある。ただ、今の方があの頃より遥かに幸せといった感じもない。単に人生の違う楽しみ方というか、異なった状況であるだけのような気がする。結局、東京に、日本にいようが海外にいようが、何かを成すわけでもなく、その時々で時間を潰しながら過ごしていることに変わりはないのだ。ただ、東京時代はそれに危機感を抱いていたが、今はそれでもいいかという気持ちが芽生えてきてもいる。恐らくそれは僕が「意識高い系」として毛嫌いしていた才能・努力・勝利の物語を聞かなくなったからでもあり、いまいち現在の人生が今までとこれからとリンクしていないからでもあり、また僕が人間的に少し成長したからかもしれない。前回「風と共に去りぬ」の感想でも書いたが、結局何をしても人生は続いていくのだ。恐らく最高に幸せだと感じる瞬間や最低に不幸せだと感じる瞬間はあっても、それがずっと続いていくことはないのだろうと思う。

 

 今人生にたいして大きな影響を与えうる事柄を一件抱えていて、これさえ片付いてしまえば、その結果がいいにせよ悪いにせよある程度今後の方向性が決まるような気がしている。もちろんいい方向に決まってほしいのだが、どうも分が悪そうであるし、悪い結果が出たら出たでまた何か考えねばなるまい。

 

 別段4ヶ月で自分の性格やら価値観やらが抜本的に変わったというつもりはない。ただ、環境が変わったことで今までの暮らしが相対化され、多少は見方が変わった/変えることができたのではないかと思ったので、秋学期の総括という名目で長々と書き綴ってみた。この休みは何をしようか。勉強してみてもいいし、またぞろ一人旅をしてみてもいいかもしれない。