成すも成さぬも 今を楽しめ

この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

129日目:どうしようもなく、新年

 あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

 

 タイトルは別に新年に文句をつけようというわけではない。高校時代、「俺は新年なにがめでたいのかわからん」という中学生みたいなイキり方をする教員がいたが、何を言っているんだと思っていた。正月というのは一つの節目であって、その節目を息災に迎えられたというのは十分祝うに値する出来事ではないか。

 

 そんな今となっては届く当てのない愚痴を書きたいわけではない。ただ新年について少し書きたいだけである。

 

 新年は節目を迎えためでたさなので、自分ではどうしようもない。誕生日もこれと同質だが、自分が何かを達成したわけでも他人が居たからでもなく、ただ新年というだけでめでたいのだ。しかし新年の前には何があっただろうか。クリスマス、ではなく年末である。その一年でやったことややらなかったことを振り返って、してもどうしようもない後悔に浸ったり、来年はこうしよう、ああはするまいといった決意を固くするのであるが、新年になった途端、どうにもめでたさの陰にこうした心の動きは隠れてしまう。新年のめでたさに助けられて気持ちまでがどうも前向きになり、悲嘆や後悔から生まれた教訓まで抱負や目標というポジティブなものへと昇華してしまう。

 

 気持ちを新たにするという点でこれ以上ふさわしい時期もなかろうが、すべてを前向きに考えてしまうというのはどうなのだろうか。リセットではなくコンティニューで、昨年のいいところも悪いところも引き継いでいきたいではないか。

 

 それを前提として、今年の抱負を考えてみた。こういう形で文章にするとどうにも月並みになってしまうが、昨年のことを思えば、環境が激変したこともあるが、生活レベルで新しいことに挑戦できた年なのではないか。バッティングセンター然り、クラブ然り、海外生活然り、色々やるだけはやってみた。しかし同時に腰を落ち着けようと思えるものに出会えなかったのも事実である。新しいことを開拓することと既に見つけたものを検討することは全く異なる種類の活動だが、今年はそれを両方行っていきたい。所謂「フットワークが軽い」という姿勢を持とうとしつつも、将来にせよ勉学にせよ見通しを立てていきたい。とはいえ目下の計画はどれもはかばかしくはないのだが……