成すも成さぬも 今を楽しめ

この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

161日目:なんちゃって学位留学中

 最近は非常に単調な生活を送っている。朝8時起床、朝食を食べた後教科書を少し捲って、10時半に通学。11時半に大学へ到着し昼食。授業が2時前まであって、月曜はそのまま次の授業へ、水曜と木曜は自習して帰る。たまに戯れにジムに行く。火・金と週末は授業がないかあっても吹けば飛ぶようなものなのでほぼ一日自習かパソコンで何か見ている。最近は"Big Bang Theory"というテレビドラマをずっと見ている。カリフォルニアの高学歴オタク4人組が織りなすコメディである。アメリカ人の言う「オタク」は当たり前だがスパイダーマンとか超人ハルクとかアメコミ系なのでネタには全然ついていけないが、なんとなく視聴をやめられない。

 勉強の方もなんとなく行き詰っている。社会神経科学を勉強するためにとにもかくにも知覚神経科学を勉強しないとお話にならないのでどうにかこうにか教科書を読み進めているのだが、なぜか英語が難しい。もちろん学術書だからということもあろうが、なぜかやたらおしゃれな英単語が並ぶ。albeitなんて見たことなかったぞどうなってんだ。これを越さねば社会神経科学にまでたどり着けないのだが、辿り着いてそれに惚れこむかどうかもわからない。まあなにがしかの形で身にはなるであろう。

 

 そこでふと思ったのだが、これはかなり学位留学に近いのではないだろうか。私の留学の前半は間違いなく交換留学っぽい交換留学だった。授業に出ず人と遊び歩くというのは、交流に主眼を置いている点で留学前から予想していたことだった。しかしことここに至って、国籍を問わずまた人と交流するようになったものの、以前のような深さはなく、勉強の方に重きが置かれている。もちろん本物はもっと大変だろうが、基本的なスタンスはこんな感じなのだろう。

 なんちゃって学位留学の感想としては、「できるが、しんどい」である。フィンランドは寒くて雪が多いが、それも気にしなければ気にならない。メシもそこまで美味くないが、気にしなければ気にならない。もちろんたまに「波」が襲ってくることもあるが、ホームシックというほどのことは今まで終ぞなかった。生活に不満がないわけではないがここから一秒でも早く抜け出したいというような強い思いにまで至らないというのは内容は違えど東京時代に経験したことなので、やはり生活環境というのはそれほど問題にはならないのだろう。

 何がしんどいかというと、やはり英語で専門と向き合うことだ。東京時代は2週間後までに読んでねと言われて十数ページの英語論文を渡されてはいおしまいだったが、フィンランドの問屋はそうはいかない。3日後までに40ページとか50ページとかが平気で出る。前学期は専門外でありそれほど真剣に取り組んでいなかったが、やはり専門ともなると多少真面目になるもので、目を通そうとするとこれがまた時間を食う。やっとの思いで読み切って授業に向かうと、遅くて表現が分かりやすいが訛りのきつい教授の英語と発音はきれいだが速くて表現が多彩なクラスメートの英語表現に悩まされる。なぜあれで質疑応答が成り立つのかわからない。がしかし、こちらが必死で議論を追いかけている間にも話はどんどん進んでいって、自分の質問など思いつく暇もない。「アメリカでは質問しない奴は内容を理解していないとみなされる」なんて話をどこかで聞いたような気がするが、あの教室の中での私は自他共に認める阿呆である。これがネイティブ同士のより深化したやり取りになっては手も足も出なくなるであろう。

 

 しかしこの問題はもし研究者の道を歩むのであれば避けては通れない道であることも事実なのだ。分野にもよるのだろうが、今のご時世日本語だけで論文を書いていては……という話はあちらこちらで聞こえてくる話であって、必然的に英語が公用語の学会を相手に立ち回らねばならぬ。就職機会から言っても常に海外の英語のポストというものを視野に入れていかねば厳しい業界であるとも聞く。もちろん第一に来るべきは研究へのモチベーションなのだろうが、これが当たり前にできるレベルでないとやっていけないぞというトランプ大統領もびっくりの高い壁を目の前に建てられている気がする今日この頃である。

 

 他人事なら大変だねで済む話だし、一度決めたら覚悟も決まろうというものだがしかし、アカデミックな道に進むの? という話は私の中でまだ終わっていない。専門分野で錯綜してるやつが研究者になりたいですなどとは片腹痛いではないか。現状としてしたい仕事がないからとりあえず大学残るかという90年代モラトリアム大学生と同じ程度の知能しか持ち合わせていないのだ。自分の将来と日本の将来、不安な要素は様々あって、楽観的になりにくいご時世である。海外へ出てみようというのはそういう不安から一旦距離を置こうという姿勢の表れであったように思うが、こと仕事に関しては、日本で別にしたくないものが海外に出て急にしたいとなるわけがない。日本企業は悪しき伝統やブラックな話、業績不安に事欠かないが、それでも一介のノースキル文系学士卒として海外で会社に入って仕事を覚えて……という道のりを辿るより日本で就職した方が遥かに楽かつ効率のいいように思える。

 

 人生選択には常にお金の問題が付いて回るのでなおさら厄介だ。今後5年を見据えれば就職した方が確実にお金が入る。ただ10年以上のスケールでみると完全に闇である。別段金儲けが全てというわけではないが、もらえないよりはもらえた方がいいだろう。何より20代半ばを超えて文無し親のスネカジリ虫というのも申し訳なさしかない。生計をどう立てていくかと考えるとまた一つ重い石が体に乗せられる。

 

 ともかく、就職ルートに進むなら「留学した」という事実で十分貢献していると思うので、進学ルートに備えて今はともかく勉強していこう。