成すも成さぬも 今を楽しめ

この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

自分の足場が分からない

 最近は日記の体裁をとってきたので、カテゴリというものを今更設けるのも何か違うような気がしたのだが、まあ自分用とでも思うことにして作ることにする。

 

 

 現実の方で特に何も事件がないのでひたすら教科書を捲る日々なのだが、ふと立ち止まると全く暗礁に乗り上げているような気分になった。いつかの記事で社会神経科学をやりたいねみたいなことを書いた記憶があるが、今のところはまだ認知神経科学の教科書に苦戦している最中である。

 

 

 さて、現状を説明するために少々回り道をするのをお許しいただきたい。心理学という分野はとても広い。認知(知覚)心理学、教育心理学社会心理学進化心理学、臨床心理学、生物心理学、組織心理学、健康心理学などなど。名詞の下に「心理学」をつければ学問分野として成立するのではないかと言わんばかりである(「物理心理学」はないが「心理物理学」はある)。私は愚かなので社会学社会心理学が並んでいて、心理が付いてる方がなんとなくおしゃれくらいの理由でこの心理の大海原に自ら身を投げ出したわけであるが、最近マイブームの神経科学もかなり広い海なのだ。

 

 

 まず第一に「脳科学」でなくて神経科学である。神経というからには脳だけではなくて、視覚やらやら運動機能やらそういうものも含まれる。小さいところでは分子レベルの話から大きいところでは認知・行動レベルのものまで幅広い。このうちの認知神経科学だけを取り出してみても手法は様々だ。脳疾患患者の行動を分析してみたり、EEGで脳波の測定をしてみたり、fMRIで脳のどこが活動しているのか調べてみたり、動物の脳を切り貼りして行動観察したりとなんでもござれである。しかし全体として言えることはやはり実験してナンボの学問というところであろうか。

 

 

 しかし、最近これも実は勉強しておくべきなんじゃないだろうかという神経科学の分野を発見した。それが計算論的神経科学(Computational Neuroscience)である。Marrの視覚への計算論的アプローチから派生したらしいこの学問は、最近流行りの「機械学習」(深層学習? AI? なんと表現していいのかそれすらも分からない)とも密接に関わっている、らしい。ざっと調べた感覚で言えば脳をコンピューターに見立てて、ある脳の活動に対してどんな計算が行われているかというのをモデリングし研究する学問分野。らしい。認知神経科学のいわゆる「実験脳科学」の限界を克服できるかもとして期待されてもいる。らしい。実験脳科学の限界というのは要するに、いくら実験で脳の機能を調べていったところで、脳が実際にどう動いてるかは説明できねぇじゃねぇか! という批判のことらしい。↓の論文を読んだらもう少しわかると思う。私はまだ読んでないけど。

 

journals.plos.org

 

 

 というわけでさっそく教科書を探したのだが、今手に入る日本語の教科書は、正直胡散臭いものしかない。かといって英語の教科書はまたぞろ体力を使うものである。よって今のところ勉強は凍結状態になっている。いや英語の教科書を素直に読めという話なのだが。

 

 

 社会神経科学は、おそらく認知神経科学の親戚(=実験がメイン)なので計算論的神経科学まで学ぶ必要はないのかもしれないが、なんとなくリサーチクエスチョンとまでいかなくともこういうことを研究したら面白いんじゃないかということが見えてきた身としては方法論に縛られない為にもなるべく裾野の知識は広げておきたいのだ。しかし、今まで勉強してきた社会心理学の勉強とは全く違うことをやってるので、すっかり迷子になってしまった。映画『羅生門』の木こりのおじさんみたいに「わからねぇ、俺には何が何だかさっぱりわからねぇ!」と言いながら教科書とにらめっこするしかない。果たして自分に合った方法論にまでたどり着ける日は来るのだろうか。また基礎力としての英語力をつけないと何をするにしても時間がかかりすぎる。この限りない虚しさの救いはないものか。

 

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