成すも成さぬも 今を楽しめ

この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

201日目:帰国に際して

 フィンランド滞在も200日を超え、日本の新学期が近づいてきた。元々9月の終わりのつもりで心の準備をしていたから、気分的には半年弱グンと近づいたような気さえする。撤退準備もなんとかなりそうだ。帰国後も書類には悩まされるだろうが、2つの大学それぞれの手続きと寮の手続き、病院とのやり取り、フライトの予約など、現時点でできることは全てやった。

 

 今日ヘルシンキを去った日本人留学生が居たのだが、彼女を前にしても自分が7日で帰国するという実感が湧かない。帰ってからは進級に向けた準備やら単位の回収やらで忙しくなるのは目に見えているので、少しでも準備した方がいいのだろうが、相も変わらずパソコンの前に座ってニコニコ動画を見ているうちに時間は過ぎていく。

 

 日本に帰って何に心動かされるだろう。といったことを漠然と考える。やはりご飯は大きいように思う。といっても日本のコメの味なんて当の昔に忘れており、こっちのコメを美味いと思うようになって久しいが、それでも初期のころはこっちのコメは不味くて食えたものではないと思ったことは覚えているので、その失った味覚分だけ感動するだろう。ずっと電話だけだった家族や友人に会えることも喜びだろう。電話でも色々な話をするが、やはり直接会った方が色々な話ができるものだと思う。一方で、あまり嬉しくないが知人以上友人未満みたいな人々の詮索は避けられず、またうんざりさせられるだろうし、あの忙しい、何かに急き立てられる東京暮らしが始まってしまえば消耗は避けられまい。

 

 そんなとききっとフィンランドを懐かしむのだろうと思う。酒は高いし、寒いし、道は凍るし、飯は不味いし、言葉はまるで分らないが、それでものんびりとした日々の中で何かしら楽しいことはあり、楽しみを分かち合う人もいたのだ。それが思い出として蘇っているうちは問題ないが、現実逃避の先になってしまってはいけない。実際ものすごく順風満帆だったわけではないし、「何か身になることがしたい」「日本にいた方が良かったのではないか」「社会に参画させてくれ」と思ったことも少なくないのだ。それが思い出補正で美化されて「あーフィンランドに帰りたい」などと言い出した日には本当に「逃避」以外の何物でもない。

 

 とはいえ、この帰国がまた一つの節目である。東京に戻ってこの土地で思ったこと、考えたことを進路から生活・趣味に至るまで実践するのだ。頑張るところは頑張って、頑張らなくていいところは頑張らない。ただ時期が時期だけに頑張らなければいけないところが多そうである。