成すも成さぬも 今を楽しめ

この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

生存報告/幕末太陽傳

 生存報告がわりに、某所で書いたレポートを掲載する。幕末太陽傳をたまたまみて、ちょうどメディア論的な授業を取っていたので勢いで書いた。内容はお粗末だが、初めて文系的な調べ物をがっつりしたので楽しかった。

 

仮題:なぜ佐平次は「庶民の救世主」なのか 幕末太陽傳評に見る日本社会の変化


0.基本情報
1957年 (昭和32年) 日活作品
監督:川島雄三
脚本:田中啓一 川島雄三 今村昌平
出演:フランキー堺石原裕次郎小林旭左幸子、南田遥子ほか
ノミネート:
1957年 キネマ旬報ベスト・テン 日本映画第4位
1992年 日活映画オールタイム・ベスト・テン 第1位 (キネマ旬報)
1999年 キネマ旬報創刊80周年記念映画100選 日本映画第5位
2009年 日本映画オールタイムベスト 第4位 (キネマ旬報)

あらすじ
「浮世の風にうつつを抜かし女追うのも御時世ならば国を憂うもまた時世。乱世の幕末に躍り出たチョンマゲ太陽族の艶笑秘聞。
時は、幕末、文久2(1862)年。東海道品川宿の相模屋という遊郭へわらじを脱いだ佐平次(フランキー堺)は、勘定を気にする仲間を尻目に、呑めや歌えの大尽騒ぎを始める。しかしこの男、なんと懐には、一銭も持ち合わせていなかった…。居残りと称して、相模屋に居ついてしまった佐平次は、持ち前の機転で女郎や客たちのトラブルを次々と解決していく。遊郭に出入りする攘夷派の高杉晋作石原裕次郎)らとも交友を紡ぎ、乱世を軽やかに渡り歩くのだった」[1] 。

 

1.制作経緯:「太陽族」と「太陽傳」
 1956年に日活は、石原慎太郎原作『太陽の季節』を、慎太郎の弟である石原裕次郎を出演させて映画化し、「『客来らざる名作の日活』とか『肉カツ』映画とかいう嘲笑をしりめに,俄然上り坂となった」[2] 。この大ヒットを受けて、『狂った果実』や『日蝕の夏』といった石原慎太郎原作、石原裕次郎出演の「太陽映画」が製作され、これらの映画から影響を受けた「太陽族」と呼ばれる若者たちの出現は社会問題となった。映画評論家の佐藤忠男は、当時の若者という表象には、生真面目で勤勉なエリート青年像が一般的だったため、不良学生を活き活きと描いた『太陽の季節』に対する世間の反発は大きく、映画製作側でも折り合いをつけるための試行錯誤が求められたと分析した上で、『幕末太陽傳』をその試みの一つに位置付けている[3] 。

 

2.同時代評価:純日本型の新しい喜劇
 公開当時『幕末太陽傳』の広報には「今年中に、これほど面白い映画はあるかしら!!」というようなキャッチコピーが用いられ、大きい広告ではフランキー堺 (佐平次) のふざけ顔と、石原裕次郎の笑顔が同じ大きさで用いられている[4] 。新聞に掲載された公開直後の評価としては「野心的な高級喜劇」[5] や「みごとな喜劇」[6] というように喜劇性を評価するものであり、キネマ旬報での評価もおおむね似た傾向を示している。1957年のキネマ旬報ベスト・テンでは4位に選出され、積極的に評価を加えている選者からも「『太陽伝』は数少い邦画喜劇の誕生を祝った」 (岡田誠三大阪朝日新聞学芸部) 、「新らしい喜劇のジャンル」(岡田晋・キネマ旬報編集部)と、喜劇としての出来栄えを讃えるコメントが目立つ。選者にはおおむね3位以下に選出される一方で、唯一『幕末太陽傳』を1位に選出したのは評論家の鶴見俊輔であり、「日本映画の開拓線を進めたものだと思う。」とコメントしている[7] 。



【省略:図 読売新聞1957年7月11日の広告】

 

 ただし、公開当時から『幕末太陽傳』を深く解釈しようとする試みは散見される。映画評論家の飯田心美は、「純粋の日本喜劇」であると評価しつつも、次のような評論をキネマ旬報上に掲載している[8] 。

 

【省略:飯田心美のレビュー】

 

さらに、同じく映画評論家の井沢淳も、「古典落語に不案内なので、これが、どんなものから考え出されたか、よく分らない」と断った上で、「川島演出は、鑑賞者を試そうとしているのかと思うほど、ひねってある。」と、喜劇以上の主題を読み取るべきだという姿勢を見せている[9] 。

3.後世評価:「庶民の理想像」としての佐平次
 以上のように、公開当時の『幕末太陽傳』評は「太陽族」の流れをくむ「新しい喜劇」といったものであり、そこで扱われている主題の考察も散見された。一方で後世においては、新田の指摘している、佐平次の持つ「独特のヴァイタリティ」へと注目が集まっていく。1990年に朝日新聞には、作家の立松和平の評論が掲載されている[10] 。

 

【省略:立松和平のレビュー】

 

立松はここで、1990年代当時の社会の状況に適応する「庶民の理想像」を見出している。これ以降も『幕末太陽傳』評では、喜劇性への言及よりも「独特のヴァイタリティ」の類語で形容されることが増える。2011年には『幕末太陽傳』のデジタル修復版が公開されるが、その前後の新聞記事では、「乱世を才覚で生き抜く」[11]、 「幕末の動乱をたくましく生き抜く庶民の群像」[12] などの言葉が並ぶ。
さらに、この「ヴァイタリティ」と、立松の指摘する「変革期」の関連付けもしばしば行われる。2011年の朝日新聞の記事では、震災後の日本に『幕末太陽傳』がよみがえることは「象徴的」としたうえで、映画評論家山根貞男の「庶民のバイタリティーを凝縮した主人公」という評価を添えている[13] 。さらに2020年にはコロナ禍のなか、京都の出町座支配人である田中誠一が、佐平次の生命力の強さに「あやかろうと思った」ために、『幕末太陽傳』を上映した[14] 。

 

4.川島雄三の『幕末太陽傳』:佐平次に何を託したか
そもそも川島雄三は『幕末太陽傳』を、また佐平次を描き出すことに、どのような意味を込めたのだろうか。川島は制作当時のインタビューで「単なる落語映画でなく”首が飛んでも動いてみせまさあ”といった当時の庶民の生命力と、その半面人間の生きる悲しさといったものを喜劇風に描きたい。遊郭を舞台にとったのも当時の社交場だからだし、吉原でなく、宿場町の品川にしたのも、旅を人生の象徴と見てからのネライだ」と語っている[15] 。同年のキネマ旬報でも、佐平次と高杉晋作の持つ「ヴァイタル・フォースとでもいうべきものを与えているエネルギイが予想以上に強」いとしたうえで、作品のテーマを「積極的な逃避」としている[16] 。また、翌年の「中央公論」に掲載された映画評論家の岩崎昶・草壁久四郎との対談では、『幕末太陽傳』の評価が「表面に出たドタバタ的なことしか、みなさんに理解していただけない」ことを嘆きつつ、作品の主題について次のように述べている。

 

【省略:川島雄三・岩崎昶・草壁久四郎の対談】

 

 この対談の中で、「積極的逃避」や「偽善への挑戦」がどういう意味なのかは明かされない。しかし、佐平次役を務め、川島の弟子を公言していたフランキー堺は、佐平次がラストシーンにおいて走り去るのではなく、そのまま1957年当時の品川へ現れるというシーンを川島が考察していたことを回想している[17] 。さらに、当時の川島について次のように述べている[18] 。

 

【省略:フランキー堺のインタビュー】

 

 脚本家の山内久 (田中啓一) も、川島自身が佐平次を古典落語に登場する飄々とした人物ではなく、敢えて肺病に侵されるという設定に変更したことを報告している[19] 。これらの証言から、佐平次に対し川島が持たせた複数の意味が明らかになってくる。第一には、川島自身の投影であろう。川島は戦後の変革期にありながら、現実から「積極的な逃避」を行い、放蕩三昧で生活していた。しかし日活からは「走り去って」しまい、病気により45歳にして没する。しかし、『幕末太陽傳』は佐平次を川島に見立てた、単なる私小説的な内容ではない。川島は佐平次に、上から民主主義を与えられてしまった「戦後の生き残り共」、すなわち知識人の姿を投影する。主義主張もなく時代に翻弄されつつも、「首が飛んでも動いてみせるバイタリティー」は、思想においても生活においても波乱が多かった当時の社会で、まさに必要とされたものではないだろうか。

 

5.「新しい喜劇」から「庶民の理想像」へ:なぜ『幕末太陽傳』は日本を代表するのか
 以上の考察から、川島が自身および戦後の知識人の葛藤を喜劇として描き出したのが『幕末太陽傳』であるという説が示された。しかしこの説だけでは、なぜ現代にいたるまで『幕末太陽傳』評が変化してきたのか、「日本を代表する映画」になったのかを説明できない。それを説明する説として、筆者は日本社会自体の変化を考えた。『幕末太陽傳』の公開された1957年当時、日本社会では第三次産業の就業者は約1700万人で、日本全体の労働者の約40%程度だったが、「ユリイカ」で川島雄三特集が組まれた1989年には59%、2020年には74%と増加している[20] 。このような増加した第三次産業就業者、とりわけサービス業就業者の労働について、ホックシールドは1983年に『管理される心』を出版し、社会によって表出する感情を管理させられる「感情労働」の存在を指摘した[21] 。さらに80年代以降日本においては、中曾根内閣や小泉内閣に代表されるような新自由主義的な政策がとられた。この変化を通じて労働者は、規制緩和の名のもとに、個々の労働者の実力で社会を生き抜かなければならなくなった。こうした問題は、現代に至るまで労働者を取り巻いている。『幕末太陽傳』の佐平次は、まさにこれらの問題が表出している遊郭へ適応しているのだ。佐平次は無一文でやってきて、遊郭の最底辺である居残りの身分に置かれるが、自身の器用さ、とりわけ愛想の良さを武器にして遊郭という社会で成り上がっていく。しかし、その「適応」は決して楽なわけではなく、佐平次の心身は疲労していく。単に幕末という変革期に置かれただけでなく、遊郭という新自由主義社会において感情労働を行う、労働者としての「佐平次」像に共感する人々が増加するにつれて、『幕末太陽傳』は日本を代表する映画として評されるようになったのではないか。

 

6. その他の論点
・日活配給の大人気映画でありながら、日活自身は積極的に『幕末太陽傳』を位置付けてはいない。日活五十年、百年を記念して編纂された社史において、『幕末太陽傳』はわずかに登場するか、そもそも言及されていない [22,23]。これは『幕末太陽傳』作成後に川島が日活を辞めたことと無関係ではないだろう。

・内容分析としては、梅本洋一によるもの[24] と大貫徹によるもの [25,26,27] がある。梅本は冒頭の1957年の品川よりも、1862年の品川の方がよりリアルに感じられることに着目している。作品内で佐平次が移動し続けることにより、目的を失い移動のみが成立する近代という<歴史>性を獲得したのだと分析している。一方で大貫は移動そのものに焦点を当て、佐平次自身が終盤で移動に用いるエネルギーが低下することや、高杉晋作などほかのキャラクターの移動の在り方と対比させて論じている。

・花魁同士のキャットファイトのシーンは、工夫を凝らして一本撮りされた。ピンマイクなどなかった時代にあってこれを撮影したスタッフ陣の技術力は非常に高い (らしい) [28]。

立川志らくによれば、立川談志 (「居残り佐平次」は十八番) は「佐平次の余命が幾ばくも無い」という設定が不満だったらしい[29] 。

 

[1] 日活公式サイト『幕末太陽伝』https://www.nikkatsu.com/movie/20196.html

[2] 日活株式会社『日活五十年史』,134.

[3] 佐藤忠男「『幕末太陽傳』デジタル修復版」『月刊シナリオ』2012 (1), 12-13.

[4] 読売新聞, 1957年7月11日

[5] 朝日新聞, 1957年7月12日

[6] 読売新聞, 1957年7月13日

[7]『キネマ旬報』196, 34-41. 

[8] 飯田心美『幕末太陽伝』「キネマ旬報」182, 52-53.

[9] 井沢淳『幕末太陽伝』「キネマ旬報」185, 94. 

[10] 朝日新聞, 1990年12月15日

[11] 毎日新聞, 2012年1月17日

[12] 朝日新聞, 2013年7月5日

[13] 朝日新聞, 2011年12月21日

[14] 朝日新聞, 2020年5月23日

[15] 読売新聞, 1957年6月5日

[16] 川島雄三,岩崎昶,草壁久四郎『川島雄三と喜劇』「中央公論」, 昭和38年7月号 (直接の引用は「ユリイカ」21(4), 52-55.)

[17] フランキー堺古川ロッパから川島雄三まで』「別冊文藝春秋」184特別号 (直接の引用は「ユリイカ」21(4), 168-179.)

[18] フランキー堺川島雄三と戦った日々と工夫の数々』「ユリイカ」21(4),168-179.

[19] 渡辺千明, 藤久ミネ「山内久/玲子 空にまた陽がのぼるとき オーラルヒストリー聞き書き」『月刊シナリオ』2011 (5), 96-107.

[20] 独立行政法人労働政策研究・研修機構産業別就業者数の推移, https://www.jil.go.jp/kokunai/statistics/timeseries/html/g0204.html

[21] Hochschild, R, A. (1983). The managed heart: commercialization of human feeling. The university of California press.

[22] 日活株式会社 (1962).『日活五十年史』.

[23] 日活株式会社 (2012).『日活百年史』.

[24] 梅本洋一『<歴史>を目撃する――『幕末太陽伝』のメカニズム』「ユリイカ」21(4), 84-91.

[25] 大貫徹『作品解釈の試み―川島雄三監督『幕末太陽伝』(1957年) における主題的分析―序論』Litteratura (10), 27-54.

[26] 大貫徹『作品解釈の試み―川島雄三監督『幕末太陽伝』(1957年) の主題論的作品論の試み (1)』Litteratura (12), 69-98.

[27] 大貫徹『作品解釈の試み―川島雄三監督『幕末太陽伝』(1957年) の主題論的作品論の試み (2)』Litteratura (13), 33-55.

[28] 芦川いづみ, 橋本文雄, 川本三郎『16年後の”君美わしく”』「キネマ旬報」1612, 88-97.

[29] 立川志らく「やりやがった!」『キネマ旬報』1602, 76-79.

 気が付けば、このブログも3か月以上放置してしまっていた。今年に入ってから行進を全くしていなかったということで、実際今から思い返してみるとなかなかてんやわんやのうちに過ぎていった三か月のように感じる。既出かもしれないが、小学校の頃の担任が「1月は『行く』、2月は『逃げる』、3月は『去る』や」などと口を酸っぱくして言い散らしていたことをよく思い出す。そう思ってるとますます年末から年度末までは早くなっていくような気がするが、さりとて内容に実感が持てないと言えばうそになる。ともかく、この三か月は早いのだ。

 

 世間的にも、年明け早々に飲食店が狙い撃ちされる緊急事態宣言が出て、(最近は統計やニュースを頻繁にチェックするということもなくなってしまったのだが)一定の効果を上げたらしくほとんどの県で解除が進んでいる。とはいえ、一人暮らしの院生にはそれほど関係しない事態の変化であり、留学が潰れたとか、サラリーマンの夕飯が危機だとか、無事合格/進級しましただとか、そんな他人の悲喜こもごもを尻目に日々暮らしていた。

 

 年明けごろに、何度目かの趣味を増やそうという試みに挑戦していて、最近はワインやら楽器やらに手を出している。どちらも「嵌る人は嵌る」というジャンルであり、実際どうして嵌るのかもなんとなくわかってきたような気がするが、たしなみ程度にしかできていないので身代を傾けるほどに入れあげるということもなく落ち着いた付き合いができている。

 

 という感じで、狂乱する世間と静かに暮らすわたしという構図ができてしまっていた。コロナ禍でなければどうなっていたのか、ということを考えても仕方がないのだが、「ニューノーマル」な中で以前の社会的な営みというものが遠のいていくにつ入れ、人生の期待値のようなものがどんどん下がっていっているような気がする。あるいは院生という身分の特殊性かもしれないが、「何かしなければ」という熱意が「コロナだから仕方ない」にかき消され、何をするでもなく過ごしてしまうことが多いように感じられる。そして状況に改善の兆しがない(ワクチンについても自身の精神的健康のために楽観的に捉えすぎないようにしている)ため、出口のない迷路のなかでただ食っちゃ寝しているだけというか、○○したら本気出す(ただし○○はいつまで待ってもやって来ない)という暮らしに陥ってしまっている。

 

 とはいえ、友人知人の中にも、いつまでも終わらないパンデミックの影響で精神状態が悪化してしまう人はいて、そういう人たちを見ていると、やはり現状では滅失に陥らないだけでも偉いのかなという気がしてくる。あまり悲観的になりすぎず、かといって楽観視もせず、日々粛々と生きていけるというのは一種の強さであるし、それこそが今、あるいは人生をやっていくにあたって必要なのではないだろうか。

 

 近況報告もどきの域を出ない更新になってしまったが、とにもかくにもこれが直近の私の全てである。笑わば笑え。

一人旅への慕情

 師走である。師すら走る、況や弟においてをやといったところで、降って湧いた作業に忙殺されている。なのでのんきにブログなんぞを書いている場合ではないのだが、現実逃避のために筆をとっている。

 

 2020年、コロナ禍ということで国際的な往来がストップし、国内ではGoToトラベルが始まった。私が一人で旅行へ行く際は宿泊することはまれで、宿泊しても大体かなりの安宿に泊まることが多かったため、制度の期待するような利用法とは相いれず、結局1度だけ友人と旅行へ行くにとどまった。

 

 今年、一人で宿泊旅行しなかったことにはコロナ以外にもいくつか理由が考えられる。今年の後半はなんだかんだ忙しく、数日にわたる休みがとれなかったこと。院生という立場上、オフの日というものを積極的に作ることへのうしろめたさがつきまとっていたこと。そして私自身が地元に近い土地へと戻ってきてしまったことである。

 

 はじめて一人旅をしたのは大学に入ってから、長野と岐阜を旅行した時だと思う。当時「君の名は。」が流行していたこともあってミーハーな私はいそいそと聖地巡礼をしたわけだ。一人でバスに揺られている間、語る相手のいないことを若干寂しく思ったのを覚えている。見知らぬ土地で、見知らぬ人に囲まれながら行動することは不安であり、また醍醐味でもあった。もう二度と来ないかもしれない場所だからこそ、なんでもないものに興味を惹かれたり、なんとなく始まった会話で元気になることがある。まあ、話しかけられたと思ったら風俗のキャッチだったりもしたのだが。留学中には国外の一人旅も体験した。安宿にとまっていたため変な人たちともたくさん遭遇したが、アジア人としては大柄な男性ということも手伝ってか、歩いているだけで脅威を感じるということもなく、気ままな一人旅を満喫することができた。少なくともコロナ前のグローバル社会では、wifiにつながったスマホさえあれば言葉が通じなくても何とかなるものであった。

 

 ところが世間で外出自粛が騒がれていること以上に、私のほうが研究、というか研究とも呼べないような作業の山で首が回らなくなってしまった。できないのは自分の勉強が足りないからだと思うととても一日二日遊ぶ気になれず、かといって勉強し続けるのにも限度があり、結果ネットの海を散策して一日が終わる、という本末転倒な日常を過ごすようになった。

 

 地元に近いエリアに住んでいるのも原因である。旅行するなら、やはりなにか新しいものを体験したいものだ。しかし慣れ親しんだ近畿圏はなんとなく食指が動かず、かといって中国北陸中部へ足を延ばすほどの自由時間は無くて……ということで、たとえば日帰りでどこかへ出かけることの魅力がガクンと下がってしまった。もちろん無理をすれば行けないことはないが、翌日に疲れを残さない時間に返ってこられる距離に魅力のある行先は見当たらなかった。

 

 人と旅行をすると、それが家族であれ友人であれ、おそらく恋人であれ、何かと気を遣うものだろう。一人旅はそういったしがらみからも解き放たれた、現代社会において金で買える数少ない自由の一つのはずだったが、世間への配慮と忙しさから、今年の私はすっかり旅行をあきらめてしまった。しかし端的に言って私は今、日常に窒息しそうになっている。猛烈にすべてを投げ捨てて旅行して、命の選択をしたい。しかし予定もパンデミックもそれを許さない。

 

 そうした思いがくすぶっていればこそ、この忙しいのにわざわざこの駄文を錬成したまでである。来年がどうなるかまったく予想がつかないが、せめて1度は大きな旅行がしたいものである。

 

得体の知れないものが評価される不安

 先日、ヴィネチア国際映画祭で賞をとったことで話題の (?) 「スパイの妻」を見てきた。シリアス系の邦画を、しかも休日の昼間に見にいくことがないので、おじいちゃんやおばあちゃんに囲まれて映画を観る、という経験はなかなかに新鮮だった。

 

 内容は……正直微妙だった。蒼井優の昭和の演技の再現力は凄かった。がしかし、シナリオとして感情移入できるものではなく、かといって自分で考察してもあまり深いものにはならなかった。あらすじも曖昧にしか把握しないまま見に行ったのでそれが原因かも知れないが、どのキャラクターがどこで本音を語っているのがが全く読み取れなかった。それぞれの行動原理が理解できないまま話がどんどん進んでいくので、後半は観てもよくわからなかった。ネットに落ちているいくつかの解説や監督との対談もいくつか読んでみたが、あまりしっくり来るようなものは見当たらなかった。総評として「よくわからない」という感想に落ち着くことと相成った。

 

 私は権威主義者なので、世間で評価されているものは恐らく価値が高いだろうと思っている。なのでいまいち自分の感性と世間の評価がズレている場合、どうしても自分の評価の仕方におかしいところがないかを考える。なので、この映画も一体自分にとってなにが微妙だったのかといったことを考えていたのだが、そういえばつい最近もこんなことを考えたな、ということに思い当たった。

 

 それはとある学会のとあるポスターで、結果としてかなり高評価を得ている研究だったのだが、自分としてどうしてその研究が高評価を受けているのかまるでわからなかったのだ。もちろん、世の中ではたくさんの人がたくさんの種類の研究をやっているので、そのうちの1つくらいが合わなくてもそういうものだと割り切っていいのだろう。しかしこの種のことはしばしば起こっており、「一体この研究の何が面白いんだ?」と思わされることはしばしばあるのだ。

 

 研究者の世界はピア・レビューの世界であるため、同僚に面白いと思わせられるかは実はそれなりに重要である (と思っている) 。しかし、自分の感性が著しく周囲とズレていてはどうだろう? 早晩行き詰まってしまうことだろう。

 

 世の中の研究はおそらく、真っ当な手続きや問いを投げかけてきているはずなので、それが理解できないとすれば私のほうに何かしら問題があるのだと思うが、それにしても要らぬ不安を抱えてしまっている。

 

 とここまで書いて、もはやまったく映画について話していないことに気づいた。嘆かわしい。

 

逃げるたのしみが欲しいなら、罰をもとめなければならない

 安部公房の『砂の女』を読んだ。2,3年前に読もうと思って図書館で借りたのだが、不気味な雰囲気についていけず終いまで読まずに返却してしまい、たまたま最近ブックオフで文庫版が安売りされていたために購入したのだ。

 

 あらすじなどはネットの海にいくらでも落ちているから省略するとして、やはり「自由」ということについて、自分の境遇と照らし合わせて考えないではおれなかった。「男」の教師としての、夫としての日常生活の中で起こる出来事は全く彼の心に響かない。同僚を灰色しか見えないものとして侮蔑し、自らの職業の意味に憤り、妻との関係にも不満足な彼は、いつか自分の名前が残る新種をみつけられるかもしれないという「非日常」を求めて虫取りに興じるわけだが、穴に落ちたことでそれらは一変し、砂を掘るという極めて単調な作業に時間を費やさなければならず、そこからの脱出や、のちにはラジオや溜水装置が生きる希望となる。そして、初期の穴からの脱出は日常への帰還、中期のラジオは日常から脱出、そして最後の場面の溜水装置は日常への残留を示し、逆に選択されなかった縄梯子が日常からの脱出を象徴しているのだ。

 

 最初に掲げられた「罰がなければ、逃げるたのしみもない」という言葉はまさにそれを表している。男は教師生活という罰から逃げるたのしみとして昆虫採集を行ていたわけであるが、穴の中での奇妙な日常生活は男にとって充実したものであり、「罰」として機能していないがために、「逃げるたのしみ」ではなく「居残るたのしみ」が選択されたわけであろう。「自由の不自由性」ということはよく話題になる。週末が楽しく名残惜しいのは平日に労働しているからだし、たまの旅行で開放的な気分になるのは普段の生活が抑制されているからであるし、山頂の景色が美しいのは頑張って山道を登ってきたからである。結局自由を感じるためには、常の状態が不自由である必要があるのだ。

 

 翻って自分の現状を考えると、この「居残るたのしみ」「逃げるたのしみ」が機能不全を起こしているような気がしてならない。私は「逃げるたのしみ」を志向しているが、私の生活はそれほど束縛されているわけではない。文系院生というのは非常に時間の余裕のある生き物である。よって映画や週末の娯楽の中に非日常を追い求めても、なんとなく満たされない気持ちが残る。一方「居残るたのしみ」はどうかというと、日常の研究は目に見えて成果が積みあがっていくというものではなく、さぼってしまうことも往々にしてあるため、一向に改善していかない。

 

 なのでタイトル通り、私に必要なのは罰、つまりは不自由なのだ。新しい娯楽や新しい楽しみを求めるというよりはむしろ、積みあがっていく仕事をこなしていかなければならない不自由さを志向するべきではないか。そして、本来研究というのは自発的な意思に基づく豊かな創造的営みであるにしても、自分の場合にはそうではないのだという自覚をもって、淡々とこなしていく覚悟が必要なのではないかと思った。取り組んでいれば、いつかは「居残るたのしみ」も生まれよう。そして取り組んでいく中で「逃げるたのしみ」を味わうことができよう。そうして初めて、人生というものがより豊かになるような気がする。

海外ドラマを見るのをやめよう

 最近、Netflixではやっている「ルシファー」を見ていた。内容としては、英国プレイボーイ (悪魔) と真面目刑事 (元女優) が殺人事件を解決しつつ天国や地獄からの刺客に対処していくという話である。主演女優の人が昔の友人にどことなく似ていたので見てしまったが、大いに反省すべき事態を招いてしまった。

 

 もともと、休日にまとめて自炊をする際に暇をつぶせる娯楽としてNetflixをつけていて、もともとは食戟のソーマなど比較的穏当な (?) 番組を見ていたのだが、つい英語ドラマシリーズに手を出してしまい、気が付けば第五シーズンまで一気見してしまった。

 

 これは私の性格の問題もあるのだが、一度読み始めてある程度面白いと思った物語は、つい最後まで見てしまうのだ。そこへきて今度のルシファーだが、長い。あまりにも長い。各話40分強がシリーズによっては20話近くあり、あまりにも多くの時間がかかる。加えてなまじ英語の勉強に使おうと英語字幕+音声にしているため、画面を見ていないとわからない瞬間が多く、作業用BGMに使うつもりが作業のほうがバックグラウンドになっているということがかなりあった。

 

 おまけに長く見れば見るほど露骨な引き伸ばし展開が目立つのだが、こちらは長く見ておりそれなりにキャラに愛着も沸いているので、どうしても続きが気になってしまう。よって1話あたりの効用はどんどん逓減していくのだが、見るのをやめられない依存症のような状態に陥ってしまったのだ。

 

 そのせいでどれだけの作業が滞ったか、また作業全体への影響は計り知れない。限られた自由時間があって、その時間をやりくりしなければならない社会人諸兄にはよい日常の潤いになるのだと思うが、日々のノルマというものが存在せず、一度アクセルを踏んだらブレーキがかからない私のような性格の大学院生にとっては百害あって一利なしである。

 

 過去、最後まで観たのは「ゲームオブスローンズ」くらいなものだが、あれも大学生というかなり時間が余っていて自由に使える身分だったから見れたのであって、しっかりと2,3時間で完結するような映画を見たほうが、少ない時間で多くの効用を得られることは請け合いである。まして時間を有効に使いたいなら、絶対にそのほうがいい。

 

 時間をお金に例えるなら、海外ドラマは牛丼屋であって、映画はちょっとこじゃれた高めのレストランである。牛丼屋は値段的に毎日行くことも可能だが、だんだん味に慣れてくるので、季節限定メニューがあるとそっちを頼んだりして、なんとなく違うものを食べた気にして自分を満足させる、といったことをしないといけない。一方、こじゃれたレストランはお値段や雰囲気でなんとなく敷居が高いが、下調べをしっかりすればかなり満足できるメニューが食べられる。

 

 そういう意味では、作業用BGMとしてはそれほど続きの展開が気にならず、頭も使わず、少々目を離しても心が痛まないなろう原作アニメあたりがちょうどよいのだが、それはもはや娯楽というのだろうか……? 

 

 ともかく、当分の間海外ドラマ禁止令を敷こうと思う。

SNSをやめてみた話

 また3ヶ月ほど投稿が空いてしまった。留学時代などほぼほぼ毎日更新していたことを思うと、我が身の非勤勉さが思い知らされる。

 最近は進まぬ研究に苛立ったり、バイト先で教育の沼にハマったり、ゴルフを初めてみたりしていた。京都へ越してきてもう5ヶ月くらいになるが、状況は半年前に比べて好転していないし、このままで大丈夫か、という思いは日増しに募っていく。とはいえ、何かできるかと言われればそうではないのだが……

 

 さて、今日は表題の通りの話をしたい。私はTwitterやらInstagramやらFacebookやらいろんなSNSをやっていたわけだが、これらのアプリを先日自分のスマホから消去した。Twitterでは特に複数のアカウントを運用していたのだが、「情報収集用」として活用していたアカウントのタイムラインで、あまりにも強い肩書を持った (とはいえ年が大きく違うわけではない) 人たちがムズカシイ話について論戦しているのを目の当たりにしてしまったからである。遊び呆けたあげく分野に新規参入してきて右も左も分からない私であるから、やれ新しい手法だの、やれ統合的な理論だの、やれ学部生の頃はこの勉強をしていただの言われてしまうと、自分の知識量と考察力のなさに辟易してしまうのだ。

 

 そこで考えたことには、SNSで疲れてしまってもしょうがない、ということである。すでにあらゆる人たちが主張していることだが、SNSとは緩いつながりであって、対人関係のように強固なつながりではない。そこでの交流コストがリターンよりも大きいのであれば、やめてしまった方がよっぽど健康的である。この場合天秤に乗っているのが私の精神的健康&1時間に5~15くらいの時間と、他人の思想・思考の断片&オンラインなどでのイベント情報だ。これは別の話になるが、私はオンラインでの会話に全く集中できない人間であるし、正直イベントに参加したところでどれほど役に立つか怪しい。そして他人の思考はためになることもあるが同時に疲れる原因にもなる。

 

 一方Instagramでは現実でできた友人たちとつながるために用いていたが、そのほとんどは交流のない知人かそれ未満になってしまった。そんなほぼ他人みたいな人の人生を眺めても仕方がないし、維持したいと思っている友人にはLINEやらMessangerで連絡を取る (トーク機能が主に使われているこれらについてはSNSに含めないものとする) 。

 

 やめて1週間以上になるが、本を読む時間は増えたし、考えごとをする時間は増えたように思うし、今のところ不便さは感じていない。せいぜい「あっこれネタツイに使えそう」みたいな馬鹿馬鹿しい思いつきを誰にも告げないまま忘れてしまうのを若干もったいないように感じてしまうくらいだろうか。「SNSは現代のアヘン」なんて言い回しをどこかで聞いたような気もするが、依存症患者を出す威力の一端をやめてから認識できたような気もする。このブログをまた再開する気になったのも「発信したい欲」の残骸だろう。

 

 以前も一定期間アプリを消すことはあったが、今回は復活する気は皆無である。とはいえ消してからまだそれほど時間が経っているわけではないので、また味をしめて再開するかもしれない。

 

奮起せよ。坐るがよい。眠りがそなたたちにどんな益があるか。病んで、矢にいられて苦しんでいるものたちに、どんな眠りがあるのか。 ーーーースッタニパータ