成すも成さぬも 今を楽しめ

この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

 気が付けば、このブログも3か月以上放置してしまっていた。今年に入ってから行進を全くしていなかったということで、実際今から思い返してみるとなかなかてんやわんやのうちに過ぎていった三か月のように感じる。既出かもしれないが、小学校の頃の担任が「1月は『行く』、2月は『逃げる』、3月は『去る』や」などと口を酸っぱくして言い散らしていたことをよく思い出す。そう思ってるとますます年末から年度末までは早くなっていくような気がするが、さりとて内容に実感が持てないと言えばうそになる。ともかく、この三か月は早いのだ。

 

 世間的にも、年明け早々に飲食店が狙い撃ちされる緊急事態宣言が出て、(最近は統計やニュースを頻繁にチェックするということもなくなってしまったのだが)一定の効果を上げたらしくほとんどの県で解除が進んでいる。とはいえ、一人暮らしの院生にはそれほど関係しない事態の変化であり、留学が潰れたとか、サラリーマンの夕飯が危機だとか、無事合格/進級しましただとか、そんな他人の悲喜こもごもを尻目に日々暮らしていた。

 

 年明けごろに、何度目かの趣味を増やそうという試みに挑戦していて、最近はワインやら楽器やらに手を出している。どちらも「嵌る人は嵌る」というジャンルであり、実際どうして嵌るのかもなんとなくわかってきたような気がするが、たしなみ程度にしかできていないので身代を傾けるほどに入れあげるということもなく落ち着いた付き合いができている。

 

 という感じで、狂乱する世間と静かに暮らすわたしという構図ができてしまっていた。コロナ禍でなければどうなっていたのか、ということを考えても仕方がないのだが、「ニューノーマル」な中で以前の社会的な営みというものが遠のいていくにつ入れ、人生の期待値のようなものがどんどん下がっていっているような気がする。あるいは院生という身分の特殊性かもしれないが、「何かしなければ」という熱意が「コロナだから仕方ない」にかき消され、何をするでもなく過ごしてしまうことが多いように感じられる。そして状況に改善の兆しがない(ワクチンについても自身の精神的健康のために楽観的に捉えすぎないようにしている)ため、出口のない迷路のなかでただ食っちゃ寝しているだけというか、○○したら本気出す(ただし○○はいつまで待ってもやって来ない)という暮らしに陥ってしまっている。

 

 とはいえ、友人知人の中にも、いつまでも終わらないパンデミックの影響で精神状態が悪化してしまう人はいて、そういう人たちを見ていると、やはり現状では滅失に陥らないだけでも偉いのかなという気がしてくる。あまり悲観的になりすぎず、かといって楽観視もせず、日々粛々と生きていけるというのは一種の強さであるし、それこそが今、あるいは人生をやっていくにあたって必要なのではないだろうか。

 

 近況報告もどきの域を出ない更新になってしまったが、とにもかくにもこれが直近の私の全てである。笑わば笑え。