成すも成さぬも 今を楽しめ

この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

得体の知れないものが評価される不安

 先日、ヴィネチア国際映画祭で賞をとったことで話題の (?) 「スパイの妻」を見てきた。シリアス系の邦画を、しかも休日の昼間に見にいくことがないので、おじいちゃんやおばあちゃんに囲まれて映画を観る、という経験はなかなかに新鮮だった。

 

 内容は……正直微妙だった。蒼井優の昭和の演技の再現力は凄かった。がしかし、シナリオとして感情移入できるものではなく、かといって自分で考察してもあまり深いものにはならなかった。あらすじも曖昧にしか把握しないまま見に行ったのでそれが原因かも知れないが、どのキャラクターがどこで本音を語っているのがが全く読み取れなかった。それぞれの行動原理が理解できないまま話がどんどん進んでいくので、後半は観てもよくわからなかった。ネットに落ちているいくつかの解説や監督との対談もいくつか読んでみたが、あまりしっくり来るようなものは見当たらなかった。総評として「よくわからない」という感想に落ち着くことと相成った。

 

 私は権威主義者なので、世間で評価されているものは恐らく価値が高いだろうと思っている。なのでいまいち自分の感性と世間の評価がズレている場合、どうしても自分の評価の仕方におかしいところがないかを考える。なので、この映画も一体自分にとってなにが微妙だったのかといったことを考えていたのだが、そういえばつい最近もこんなことを考えたな、ということに思い当たった。

 

 それはとある学会のとあるポスターで、結果としてかなり高評価を得ている研究だったのだが、自分としてどうしてその研究が高評価を受けているのかまるでわからなかったのだ。もちろん、世の中ではたくさんの人がたくさんの種類の研究をやっているので、そのうちの1つくらいが合わなくてもそういうものだと割り切っていいのだろう。しかしこの種のことはしばしば起こっており、「一体この研究の何が面白いんだ?」と思わされることはしばしばあるのだ。

 

 研究者の世界はピア・レビューの世界であるため、同僚に面白いと思わせられるかは実はそれなりに重要である (と思っている) 。しかし、自分の感性が著しく周囲とズレていてはどうだろう? 早晩行き詰まってしまうことだろう。

 

 世の中の研究はおそらく、真っ当な手続きや問いを投げかけてきているはずなので、それが理解できないとすれば私のほうに何かしら問題があるのだと思うが、それにしても要らぬ不安を抱えてしまっている。

 

 とここまで書いて、もはやまったく映画について話していないことに気づいた。嘆かわしい。