成すも成さぬも 今を楽しめ

この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

一人旅への慕情

 師走である。師すら走る、況や弟においてをやといったところで、降って湧いた作業に忙殺されている。なのでのんきにブログなんぞを書いている場合ではないのだが、現実逃避のために筆をとっている。

 

 2020年、コロナ禍ということで国際的な往来がストップし、国内ではGoToトラベルが始まった。私が一人で旅行へ行く際は宿泊することはまれで、宿泊しても大体かなりの安宿に泊まることが多かったため、制度の期待するような利用法とは相いれず、結局1度だけ友人と旅行へ行くにとどまった。

 

 今年、一人で宿泊旅行しなかったことにはコロナ以外にもいくつか理由が考えられる。今年の後半はなんだかんだ忙しく、数日にわたる休みがとれなかったこと。院生という立場上、オフの日というものを積極的に作ることへのうしろめたさがつきまとっていたこと。そして私自身が地元に近い土地へと戻ってきてしまったことである。

 

 はじめて一人旅をしたのは大学に入ってから、長野と岐阜を旅行した時だと思う。当時「君の名は。」が流行していたこともあってミーハーな私はいそいそと聖地巡礼をしたわけだ。一人でバスに揺られている間、語る相手のいないことを若干寂しく思ったのを覚えている。見知らぬ土地で、見知らぬ人に囲まれながら行動することは不安であり、また醍醐味でもあった。もう二度と来ないかもしれない場所だからこそ、なんでもないものに興味を惹かれたり、なんとなく始まった会話で元気になることがある。まあ、話しかけられたと思ったら風俗のキャッチだったりもしたのだが。留学中には国外の一人旅も体験した。安宿にとまっていたため変な人たちともたくさん遭遇したが、アジア人としては大柄な男性ということも手伝ってか、歩いているだけで脅威を感じるということもなく、気ままな一人旅を満喫することができた。少なくともコロナ前のグローバル社会では、wifiにつながったスマホさえあれば言葉が通じなくても何とかなるものであった。

 

 ところが世間で外出自粛が騒がれていること以上に、私のほうが研究、というか研究とも呼べないような作業の山で首が回らなくなってしまった。できないのは自分の勉強が足りないからだと思うととても一日二日遊ぶ気になれず、かといって勉強し続けるのにも限度があり、結果ネットの海を散策して一日が終わる、という本末転倒な日常を過ごすようになった。

 

 地元に近いエリアに住んでいるのも原因である。旅行するなら、やはりなにか新しいものを体験したいものだ。しかし慣れ親しんだ近畿圏はなんとなく食指が動かず、かといって中国北陸中部へ足を延ばすほどの自由時間は無くて……ということで、たとえば日帰りでどこかへ出かけることの魅力がガクンと下がってしまった。もちろん無理をすれば行けないことはないが、翌日に疲れを残さない時間に返ってこられる距離に魅力のある行先は見当たらなかった。

 

 人と旅行をすると、それが家族であれ友人であれ、おそらく恋人であれ、何かと気を遣うものだろう。一人旅はそういったしがらみからも解き放たれた、現代社会において金で買える数少ない自由の一つのはずだったが、世間への配慮と忙しさから、今年の私はすっかり旅行をあきらめてしまった。しかし端的に言って私は今、日常に窒息しそうになっている。猛烈にすべてを投げ捨てて旅行して、命の選択をしたい。しかし予定もパンデミックもそれを許さない。

 

 そうした思いがくすぶっていればこそ、この忙しいのにわざわざこの駄文を錬成したまでである。来年がどうなるかまったく予想がつかないが、せめて1度は大きな旅行がしたいものである。