成すも成さぬも 今を楽しめ

この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

できることがある、というのはしんどい

 放っておくと何ヶ月も放置してしまうのが、ブログの恐ろしいところである。

 

 3月に京都へ越してきて、大学へ出たり入ったりしているうちにパンデミックが始まった。大学は閉まり、バイト先も閉まり、近所のおいしいのかも知らない料理屋さんも閉まり、友人は実家へ帰って行った。新しい生活環境に慣れる前に「新しい世の中」が始まってしまったことで、それほど抵抗なく生活様式を変更できた。

 

 とはいえ、それは順風満帆であるということを意味しない。今年が始まったらすぐにやろうと計画していた実験はいつ実施できるかわからない、しかしやらないと修論は書けない。実験設備は目と鼻の先にあるのに、まったく何もできないというのは悔しいものだ。

 

 一方で、「今だからこそできること」は意外とたくさんある。論文を読んだり、勉強していなかった分野を勉強したり、研究以外の本を読んだり……いくつか勉強会にも参加しているので、その準備もできるだろう。

 

 しかしそうした活動の全ては無気力の渦に吸い込まれていく。家から出ることができないため非常に鬱々とした気持ちだけが募っていく。作業効率が上がらないまま怠惰に毎日が過ぎていくのだ。少々家から出れないからと言って、院生が研究を放棄してよいものか。ここで踏ん張らねば研究を進めるなど望むべくもないと思いながらも、未曾有の事態だから仕方なからろうと甘える自分もいる。

 

 もし今研究室へいくことができたら、果たして能率を上げて研究できるだろうか? 足踏みしているのは本当に環境のせいか、それともやはり自分の怠惰さ故か? かなり錯乱した文章しか書けないのも、実はかなり消耗していることの現れではないか?? いっそ全く何もできない、という状態におかれた方が開き直れる分ましだろう。

 

 日々を穏やかに過ごすということは、とりわけこんな状態にあっては非常に難しいことだと思う。もちろん飲食業界や観光業界の人間、失職してしまった人などに比べれば、明日の心配をしなくてよいだけ随分ましなのだろうが……

 

https://www.youtube.com/watch?v=JwYX52BP2Sk

That's it. It's all over. Finished!

 今日、東京の住まいを引き払ってきた。帰国後1年弱住んだ部屋は思いのほか素早く片付いて、立ち合いに来た不動産屋さんに「きれいですね」と驚かれもした。1年程度ではそれほどモノが溜まらないのであろうか。

 

 しかし部屋の方はそれでよくても、自分の方はそうはいかない。実感が伴わないが、これは大学生活の終わりであって、一つの時代の幕引きなのだ。これからの新天地で新生活を始めるためにこそ、人生の大掃除もしておかねばなるまい。

 

 大学に入学したとき、私は大学から30分もかかる、10畳の部屋に一人で住んで、サークルの友達とワイワイやるパーチーやら、初めて彼女を家に呼ぶ日やらを妄想して暮らしていた。10畳という部屋は一人で住むには大きすぎるので、妄想で埋めていかないととてもではないが住めたものではない。そして妄想が現実にならないやるせなさから世の中を疑い始め、資本主義社会に同調できなくなったために文学部へと籍を移した。

 

 一方、逃避先として海外を選んだ私は、大学の用意するありとあらゆるプログラムで旅行を楽しんだ。大学が学んでほしかったのは世界の広大さとグローバリズムの精神だったのだろうが、私が学んだのはせいぜい安宿の不快さとアルコホリックの精神くらいなものである。留学先のヘルシンキでは大学まで40分かかる5畳+キッチンリビングトイレ共用の家に住み、やっと快適な家を手にしたかに思われたが、英語を巧みに駆使するハイパーグローバルエリートの群れに恐れをなした私は結局活発に交流を行うということをせず、自宅で窓の外の雪とネットフリックスを鑑賞する日々を過ごし、あげく骨折して帰国をする羽目になった。

 

 そして最後の1年、学問を志すという熱い闘志を胸に抱いて研究室に所属した私を待っていたのは、氷水よりも冷たい人間関係とそれが生み出すパワハラの力場だった。ロフト付き6畳間という、都心にしてはいい物件に巡り合えた幸運もどこへやら、部屋へ帰ってくる私はいつも疲れ果てており、将来のために何かするという気持ちは長らくロフトの奥にしまったままであった。そして今日、この6畳間を引き払ったという寸法である。

 

 こう並べてみると、それほど褒められた大学生活ではなかったが、それでも暗中模索からここまでやってこれたことには自分にエールを送りたい所存である。大学入学当時は彷徨える異邦人だったのだが、どうにかこうにか英語を話し、海外にも行って、専攻にあたりをつけて研究生活を送ろうというまでに成長したのだ。私生活が如何に燦々たるものであっても、それだけは唯一、私の大学生活で誇れる点でもあるし、大学が私について誇れる点でもあるだろう。

 

 また学問を志すべきかということ、また何を志すべきかということについて定まっていなかったことも、私生活が充実していなかったことの遠因である気もする。私生活は公生活を前提としており、学生が専門とすべき学問を持たないことは、その公生活が深刻な危機に直面しているということを意味している。公生活が存立の危機にあっては自然私生活もメリハリのないものにならざるを得ない。およそ、私の大学生活で不幸ともいうべき点があるとするならば、それは特定の学問を志すことを入学前に決定しなかったことにあるのではないか。とはいえ、今の興味関心を育てるにはやはりこの道を辿る他になかったということは承知の上であり、あとはこの先に続く道を自分で切り開いていけるかという点に重きを置くべきなのだ。

 

 現在、旧生活に終止符を打ち新生活に羽ばたいていく中で、待ち遠しさも恐ろしさが同居しているが、大学入学当時期待していたことの多くは期待のまま終わってしまったし、当時気にも留めなかったことを今やろうとしている。これからの2年もそうなるのだろうか。ともかく何かの終わりは何かの始まり、心機一転するためということで、この記事を書いた。

 

さて、わたしもそうだったのだ。……ほんの束の間たち現われたわたしの初恋のまぼろしを、溜息の一吐き、うら悲しい感触の一息吹ひとをもって、見送るか見送らないかのあの頃は、わたしはなんという希望に満ちていただろう! 何を待ちもうけていたことだろう! なんという豊かな未来を、心に描いていたことだろう!
 しかも、わたしの期待したことのなかで、いったい何が実現しただろうか? 今、わたしの人生に夕べの影がすでに射し始めた時になってみると、あのみるみるうちに過ぎてしまった朝まだきの春の雷雨の思い出ほどに、すがすがしくも懐しいものが、ほかに何か残っているだろうか? ――――ツルゲーネフ 初恋

敗者よりも不味い奴を知ってるか?

 全く知らない奴ではないけど、友人と呼ぶのは憚られるくらいの学科同期から卒論打ち上げのお達しが届き、参加する理由もしない理由もなかったので参加してみることにした。

 

 会場は都内のタワマンで、面子の1人が親と住んでいる部屋の一つだった。午後の早い時間から集まり酒を開けつつおつまみをつまんでいたが、想像していた通り暖かい同窓会とはいかなかった。それほど口数が多い人々でもないし、共通の話題があるわけでもないから、すぐ会話が途切れるのだ。

 

 とはいえその中で話を拾っていくと、私と院進するもう1人以外はみな就職を決めていて、それぞれに別の思惑を持っていた。こいつは冷静に就職先を決めるだろうと思っていた奴が意外と夢を追いかけていたり、大手の内情が漏れ聞こえてきたりと多少は面白い話が聞けたが、どうしても就職を選んだ「彼ら」と、院進を選んだ「私」を対比せずにはいられなかった。

 

 院進を選んだ以上、それほど親しくなかったにせよ同じ時期、同じ状況にあって就職を選んだ彼らに対し理解はしても共感はできない (もちろん、本当はもっと進路というものは多様であるべきなのだけれど)のである。どこかのタイミングでという訳ではないが、私が就職活動を辞めてしまったのはアカデミアでやり残したことがあったり、修士や博士を終えてからのキャリアを考えたからであって、この選択が私にとって正しかったのかを判断するにはいくらかの時間を必要とする。

 

 いわば私は掛け金をベットして、さらに大きいリターンのためにこれからベットしようかという状態にある。なので、同じような手札を持っているであろうに早々に勝負を降りて別の台に行ってしまった彼らには、頭のどこかで理解しつつもどこか突き放すような気持ちを持ってしまう。もちろん彼らは彼らで就活における勝負に何らかの結果を残してきたし、さらにこれから実社会の中で勝負を求められることだろう。彼らが何を目指しているかも知らないが、「私の勝負」においては私の掛け方が正解だと信じている。尤も、この博打に勝てるかなんて分からんし、あまり分はよくなさそうなのだし尚更人のことを気にかける余裕などないはずなのだが。ともかく自分の勝負を投げないようにせねばなと決意を新たにできた、ということにしたい。

 

“You know what's worse than a loser? Someone who won't admit he played it wrong.”

謹賀信念

 2019年が終わり、2020年が始まったため、このブログを含めてこの1年を振り返っていたのだが、今年1年という切り方はふさわしくない気がしてきた。フィンランドから東京へ帰ってきたのは3月で、まだ卒論は書けていない。しかし、実家にいると進捗が生めないことが若干ストレスになるくらいに何もできないので、暇にあかせて今年を振り返るに至った。

 

 昨年はあまり幸せそうではない記事が多かった。実際足は折るわ、研究はうまくいかないわ、人間関係も上手くいかないわと悲しい出来事ばかりが思い出されるのだが、きっといいこともあったはずで、それが思い出せないだけだという事にしておく。嫌なことがあってもめげずに次の年を迎えられたということでもあるので、まあ昨年よりもいい思い出を作ることが目標である。

 

 実際やりたいことの手がかりくらいは見つけて、当座の進路にもあたりを付けたので、今年はそれを大いに頑張っていくつもりで、願わくば飛翔の年になってもらいたいものだなぁと思う。

車輪の下にはヘクバの名

 師走であり、卒論シーズンである。

 

 このブログでも散々に愚痴ってきたが、やはり卒論は難しい。どれだけ高潔な志を掲げていようと、様々な要因で歪められ叩きのめされ時間に追われるうちに見るに堪えないものができてしまう。勿論、そうはならない人もいようが、私の場合はそうなってしまった。この作業を通じて学ぶことは多いといえども、最終的な出来栄えが問題とされることはないのだ。せいぜい大学院入学の際に提出しなければならないくらいで、省みられることはない。私の自己満足として「どこまでやって、どこで折れるか」という点が問題となってくる。そして私は早々に折れてしまった。それをなんとか取り繕おうと奮闘したが、結局それもできずに提出することになりそうである。そんなことではとても研究などできまいぞ、という指摘には全くその通りだと返すほかはない。知識の無さを隠し切れないものになってしまうが、それもいつか糧にできるのだと虚勢を張ることしかできない。とはいえまだ執筆は完了していないくせに総括に入ろうとしているのは全く嘆かわしいことである。

 

 さて、この度研究室同期の新しい配属先訪問が終わった。彼は私とは違う道を志して別の研究室を選んだわけだが、そこは同期の多く教授も寛容な「やさしいせかい」だったらしい。私の行く先には同期がいないことが確定しているし、噂では教授も甘くはないらしいので、ますますけもの道を行くことになったと自嘲する気持ちもある。隣の芝が青く見えるのは自分の芝に自信が持てないからだ。自分の進路選択を今振り返れば後悔しないわけではないが、「あの時の自分の状況と情報ではそうなるのも仕方がない」とも思えるので、今度の決定もそうなるのだろう。

 

 先週末はフィンランドの友人が遊びに来て、彼と死ぬほど飲む中で去年の自分をなんとなく取り戻したように感じた。留学中は何も知らぬがゆえに何でもできると思っていたが、それでも高い志を抱いて帰国したはずではなかったか。期待と実態の落差はとても大きかったし、これからどうなるのかが不安ではあるが、概ね希望通りに推移しているのは事実なのだ。あとはこの1年で出せなかった結果をしっかりと出していく、失敗を繰り返さないことが大事なのだろう。

 

 自分を取り巻く状況は悪くはないのだろうが、精神的に余裕がないのでどうにも悪くとらえてしまう向きがある。自分を助けてくれるのは自分しかいなくなってしまったので、なんとか腐らずやるしかあるまい。

運命は強者さえも打倒するのだから

 久々に、とある友人に会ってきた。彼とはもう3年近い付き合いになるが、出会った当時から霞が関で働きたいと息巻いており、無事希望しているところに内定を獲得したというのは、SNSを通じて確認していた。

 

 彼は非常に付き合いやすい人間であると同時に、なんとなく相容れないなと感じるところがあった。都市圏育ち中高一貫名門校卒で法学部へストレートに進学した彼の経歴と、学外学内を問わず積極的に活動しつつも将来に明確なビジョンを持ち、アメリカへの憧れを語る彼の姿に、私は尊敬を持ちながらも、彼のあまりの「正当性」になんとなく引け目を感じていた。

 

 そんな彼から、「知り合いの学祭があるから一緒に回らないか」というお誘いが舞い込んだ。最後にあったのがずいぶん前であり、今会えば私の彼という存在の受け止め方に変化もあるだろうと思い、今日晴れて会合と相成ったわけである。

 

 彼は相変わらずの積極性を発揮し(他校のサークルの後輩をわざわざ見に来るとは!)、明るい態度は崩さなかった。職場の風通しが良さそうだということに喜び、同期の優秀さを誇る彼は以前と変わらず、私も昔に戻ったかのような気分に浸れた。

 

 しかし、この国の将来ということに話が及んだ時、かなり悲観的だったことに非常に驚いた。彼は「地方は廃れ、東京だけが栄える」国は「沈みゆく船」だとし、財務や経済の「地方から出てきて、国のために我が身を犠牲にする覚悟のある同期」たちほど我が身を犠牲にできないと述べ、自らの職務に関しては「やりがいと社会的地位」があるとしたものの、例えば米中の貿易戦争において、日本の役割は「国際的秩序の維持を呼びかけることだけど、今は秩序を守らない国が有利な状態」だと半ば自嘲していた。

 

 私は彼のことが人間的に好きだし、今回の彼の主張にはむしろ賛成する立場の人間である。しかし、そういった日本悲観論を彼の口から聞きたくはなかったのだ。もし彼が「日本はまだまだやれる」などとのたまっていたらそれこそ私は憤りすら感じたであろうが、それが私の知っている「彼らしさ」、夢を語り、出世欲と愛国心で立ち回る彼の放つ眩しさだったはずである。現実を知らねば国を回せなかろうが、外交という華々しい場で立ち回ろうという人間さえ国家に悲観的であったなら、いったい誰が希望を持てようか。

 

 もちろん彼以外にも霞が関で働こうとする知り合い・友人は多い。そして必ずしも国家のために身を捧げよ、と言っているわけではない。そうではなく、私の周囲で最も国というものに夢を託していた人間であった彼から後ろ向きな発言が出たことで、自分も周囲も年を取ったことが意識されたまでである。

 

 付け加えるとするならば、この国、というか東京への不安と不満が再噴出した。「東京と地方」という対比において、「地方」とは一体何を指すのか? 北海道から沖縄までの46府県レベルでも、共通する課題もあれば個別的課題もあろう。それを一括りにして、「東京と地方」の問題を考えて、それを解決することに果たして意味はあるのだろうか? 東京は日本だが、日本は東京ではないのだ。

 

 行政の外交・安全保障部門が各地方の実情を気にする必要があるのか、まして新人がそこまで考える必要があるのかといわれればそれまでだが、予算という形で首根っこを握っている人たちが「地方はもうダメだね」という意識で居るのは、診察する前から「助からない患者しかいない」と思っている医者しかいない病院のようなもので、適切な対処ができないのではないかと考えてしまう。

 

 まあしかし、所詮は東京の片隅で燻っている大学生の妄言であって、現場ではもっと賢い人がもっと真剣に取り組んでいると思うので、どこまでもクソリプの域を出ないのであって、自分は自分で生存の道を模索しなさいという話ではあるのだが。

お前はいったい何がしたいんだ?

 いつぞやも書いた気がするが、要するに覚悟の無さが問題なのだ。

 

 なぜ研究を始めようと思ったかというと、専門課程で今の領域に触れ、あまりにもクソ過ぎる点とカッコ良いところが同時に目につき、”クールな”ほうをやってみたいと思ったからである。しかし待遇のよくない人やら将来の不安さを考えると、イモ引きたくなる自分がいる。

 

 仕事も、携われば楽しかろうという気もする。仕事が日常に入ってきて、日常の中の問題として仕事を行うようになれば、達成感も目標も定まるであろうし、それはそれで幸せな道が待っているだろうという気がする。

 

 しかしながら、そういう風にして仕事をしたとしても、どこかに斜に構えてしまう自分がいる気がして、周りにその仕事をやりたくてやっている人間がいる中でその態度でいるのは、自分にとっても周りにとっても不幸しかもたらさないだろう。

 

 なので最近ゆるゆると就活まがいのこともしているのだが、「何がしたいんですか」という質問に答えられる気がしないのだ。

 

 脳科学的なことがやりたいんです。 でもそれは工学畑の人間が役に立つ技術を生んでて、心理系の研究が「役に立つ」のはもっと臨床場面でだよね。 でも臨床心理、神経心理ってそんなに興味がなくって…… なるほど、じゃあビジネスを今からでもしっかりやれば? うーん、確かにお金が欲しいのはそうなんですけど、別に総合職としてよくわからない仕事をしたりしたくはないんですよね。 あと海外にもちょっと出てみたくて。 海外で何がしたいの? 企業から派遣されるとか、就職してから転職してもいいじゃん そうなんですけど、海外だと博士の方が修士より評価されるって話をきいて…… その「海外」ってアメリカで、しかもアメリカの博士だけじゃないの? それに「評価される」って何の面で? お給料? アメリカで高給取りになりたいってこと? いや別にアメリカに行きたいわけではなくて、むしろ経験的にはヨーロッパの方が好きです。 でもそれなら博士を取ってから行くとか、博士をアメリカで取るとかはキャリアとして間違ってない? そうなんですよね~ でも研究をやってみたい気持ちはまだあるので。修士の間に考えても遅くないんじゃないかと思ってます。 ヨーロッパに行きたいってんなら、博士じゃなくても、そっち方面に強そうな企業とかを探してみてもいいんじゃない? ほんとにおっしゃる通りで……