成すも成さぬも 今を楽しめ

この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

188日目:己の不甲斐なさに涙する

 ここのところ暇すぎたため帰国後の情報収集をしていた。その中で見つけたのが、帰国後に申し込もうと思っていた寮が留年すると原則入居できないというものだった。初めて見つけたときは思わず二度見した。留年にお金がかかることは想定していたが、帰国後は寮に入るなどして少しでも費用を抑えようというのが私の計画だったのだ。私は某学生支援機構から奨学金という名の教育ローンを受給しているが、これも4年で受給停止であり、5年目に突入すると支給が打ち切られることも承知していたので、これはかなりまずいのではという焦りが一気に噴出した。

 

 一度不安に駆られると色々と調べ始めるのは人間の性である。サイトというサイトを閲覧し、教務課やら国際課にメールを送信しまくり、友人に履修の手引きを写メってもらい、「このまま5,6月まで授業を受けていてはどうしても留年してしまう」というものだった。そして留年すれば想定の倍近い費用が掛かることも同時に分かった。これはまずい、という思いが脳内を駆け巡った。院に行きたいのにさらにこれだけかかるというのは負担が重くなりすぎる。

 

 直後に親と電話会談を行った。母親は「それが必要ならそうしなさい」という暖かい言葉をかけてくれた。我が家は決して裕福な訳ではない。それでも息子の意志を優先してくれることがこれほどありがたいとは。しかし弟がいることもあり、この優しさに甘えきるわけにはいかないということも強く感じた。取れる手段は一つしかない、すなわち留学を中断しての帰国である。

 

 皮肉なもので、骨折をしたことが帰国する正当な理由と認められた。人間万事塞翁が馬というか、何というか……結局私の読みの甘さ、詰めの甘さ、認識の甘さ、計画性のなさ、うっかり、責任感のなさが、運の良さ(悪さ)によって救われた形であり、留学を完遂できないことへの悔しさが残る一方で、なんとか軌道修正できそうなこと、母国へ帰国できる安心感がを覚える自分がいる。もちろん残っていたところで何ができたのかという話ではある。これ以上友人も増えなければ大きなイベントも起こらなかっただろう。生産的に過ごすには帰国した方がよかったのだ。しかしそういった「生産的」「効率的」という価値観から遠ざかるために留学したのではなかったか。これは過去の自分への重大な裏切り行為ではないか。「これは撤退ではない。戦略的転身である」という大脳皮質の大本営発表に納得できない自分がいる。

 

 異国への期待を胸に膨らませ日本を発ったあの日、まさかこのような形で終わりが来ようとは夢にも思わなかった。結局私の思い描いていた留学とは異なった形の留学となったが、よもや終了の時期から変わろうとは。なんともはや人生は驚きの連続である。そうしているのは自分自身なのだが。

 

 

わたしは一つのきびしい幻を示された。かすめ奪う者はかすめ奪い、滅ぼす者は滅ぼす。エラムよ、のぼれ、メデアよ、囲め。わたしはすべての嘆きをやめさせる。それゆえ、わが腰は激しい痛みに満たされ、出産に臨む女の苦しみのような苦しみが わたしを捕えた。わたしは、かがんで聞くことができず、恐れおののいて見ることができない。 わが心はみだれ惑い、わななき恐れること、はなはだしく、わたしのあこがれたたそがれは 変っておののきとなった。(イザヤ記 21:2-4)