成すも成さぬも 今を楽しめ

この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

That's it. It's all over. Finished!

 今日、東京の住まいを引き払ってきた。帰国後1年弱住んだ部屋は思いのほか素早く片付いて、立ち合いに来た不動産屋さんに「きれいですね」と驚かれもした。1年程度ではそれほどモノが溜まらないのであろうか。

 

 しかし部屋の方はそれでよくても、自分の方はそうはいかない。実感が伴わないが、これは大学生活の終わりであって、一つの時代の幕引きなのだ。これからの新天地で新生活を始めるためにこそ、人生の大掃除もしておかねばなるまい。

 

 大学に入学したとき、私は大学から30分もかかる、10畳の部屋に一人で住んで、サークルの友達とワイワイやるパーチーやら、初めて彼女を家に呼ぶ日やらを妄想して暮らしていた。10畳という部屋は一人で住むには大きすぎるので、妄想で埋めていかないととてもではないが住めたものではない。そして妄想が現実にならないやるせなさから世の中を疑い始め、資本主義社会に同調できなくなったために文学部へと籍を移した。

 

 一方、逃避先として海外を選んだ私は、大学の用意するありとあらゆるプログラムで旅行を楽しんだ。大学が学んでほしかったのは世界の広大さとグローバリズムの精神だったのだろうが、私が学んだのはせいぜい安宿の不快さとアルコホリックの精神くらいなものである。留学先のヘルシンキでは大学まで40分かかる5畳+キッチンリビングトイレ共用の家に住み、やっと快適な家を手にしたかに思われたが、英語を巧みに駆使するハイパーグローバルエリートの群れに恐れをなした私は結局活発に交流を行うということをせず、自宅で窓の外の雪とネットフリックスを鑑賞する日々を過ごし、あげく骨折して帰国をする羽目になった。

 

 そして最後の1年、学問を志すという熱い闘志を胸に抱いて研究室に所属した私を待っていたのは、氷水よりも冷たい人間関係とそれが生み出すパワハラの力場だった。ロフト付き6畳間という、都心にしてはいい物件に巡り合えた幸運もどこへやら、部屋へ帰ってくる私はいつも疲れ果てており、将来のために何かするという気持ちは長らくロフトの奥にしまったままであった。そして今日、この6畳間を引き払ったという寸法である。

 

 こう並べてみると、それほど褒められた大学生活ではなかったが、それでも暗中模索からここまでやってこれたことには自分にエールを送りたい所存である。大学入学当時は彷徨える異邦人だったのだが、どうにかこうにか英語を話し、海外にも行って、専攻にあたりをつけて研究生活を送ろうというまでに成長したのだ。私生活が如何に燦々たるものであっても、それだけは唯一、私の大学生活で誇れる点でもあるし、大学が私について誇れる点でもあるだろう。

 

 また学問を志すべきかということ、また何を志すべきかということについて定まっていなかったことも、私生活が充実していなかったことの遠因である気もする。私生活は公生活を前提としており、学生が専門とすべき学問を持たないことは、その公生活が深刻な危機に直面しているということを意味している。公生活が存立の危機にあっては自然私生活もメリハリのないものにならざるを得ない。およそ、私の大学生活で不幸ともいうべき点があるとするならば、それは特定の学問を志すことを入学前に決定しなかったことにあるのではないか。とはいえ、今の興味関心を育てるにはやはりこの道を辿る他になかったということは承知の上であり、あとはこの先に続く道を自分で切り開いていけるかという点に重きを置くべきなのだ。

 

 現在、旧生活に終止符を打ち新生活に羽ばたいていく中で、待ち遠しさも恐ろしさが同居しているが、大学入学当時期待していたことの多くは期待のまま終わってしまったし、当時気にも留めなかったことを今やろうとしている。これからの2年もそうなるのだろうか。ともかく何かの終わりは何かの始まり、心機一転するためということで、この記事を書いた。

 

さて、わたしもそうだったのだ。……ほんの束の間たち現われたわたしの初恋のまぼろしを、溜息の一吐き、うら悲しい感触の一息吹ひとをもって、見送るか見送らないかのあの頃は、わたしはなんという希望に満ちていただろう! 何を待ちもうけていたことだろう! なんという豊かな未来を、心に描いていたことだろう!
 しかも、わたしの期待したことのなかで、いったい何が実現しただろうか? 今、わたしの人生に夕べの影がすでに射し始めた時になってみると、あのみるみるうちに過ぎてしまった朝まだきの春の雷雨の思い出ほどに、すがすがしくも懐しいものが、ほかに何か残っているだろうか? ――――ツルゲーネフ 初恋