成すも成さぬも 今を楽しめ

この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

車輪の下にはヘクバの名

 師走であり、卒論シーズンである。

 

 このブログでも散々に愚痴ってきたが、やはり卒論は難しい。どれだけ高潔な志を掲げていようと、様々な要因で歪められ叩きのめされ時間に追われるうちに見るに堪えないものができてしまう。勿論、そうはならない人もいようが、私の場合はそうなってしまった。この作業を通じて学ぶことは多いといえども、最終的な出来栄えが問題とされることはないのだ。せいぜい大学院入学の際に提出しなければならないくらいで、省みられることはない。私の自己満足として「どこまでやって、どこで折れるか」という点が問題となってくる。そして私は早々に折れてしまった。それをなんとか取り繕おうと奮闘したが、結局それもできずに提出することになりそうである。そんなことではとても研究などできまいぞ、という指摘には全くその通りだと返すほかはない。知識の無さを隠し切れないものになってしまうが、それもいつか糧にできるのだと虚勢を張ることしかできない。とはいえまだ執筆は完了していないくせに総括に入ろうとしているのは全く嘆かわしいことである。

 

 さて、この度研究室同期の新しい配属先訪問が終わった。彼は私とは違う道を志して別の研究室を選んだわけだが、そこは同期の多く教授も寛容な「やさしいせかい」だったらしい。私の行く先には同期がいないことが確定しているし、噂では教授も甘くはないらしいので、ますますけもの道を行くことになったと自嘲する気持ちもある。隣の芝が青く見えるのは自分の芝に自信が持てないからだ。自分の進路選択を今振り返れば後悔しないわけではないが、「あの時の自分の状況と情報ではそうなるのも仕方がない」とも思えるので、今度の決定もそうなるのだろう。

 

 先週末はフィンランドの友人が遊びに来て、彼と死ぬほど飲む中で去年の自分をなんとなく取り戻したように感じた。留学中は何も知らぬがゆえに何でもできると思っていたが、それでも高い志を抱いて帰国したはずではなかったか。期待と実態の落差はとても大きかったし、これからどうなるのかが不安ではあるが、概ね希望通りに推移しているのは事実なのだ。あとはこの1年で出せなかった結果をしっかりと出していく、失敗を繰り返さないことが大事なのだろう。

 

 自分を取り巻く状況は悪くはないのだろうが、精神的に余裕がないのでどうにも悪くとらえてしまう向きがある。自分を助けてくれるのは自分しかいなくなってしまったので、なんとか腐らずやるしかあるまい。