成すも成さぬも 今を楽しめ

この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

「やりたいこと」?

 最近、ある人のブログを読んでいた。

www.byosoku100.com

 

 この人の経歴をざっくりと紹介すると、ITエンジニア? として働いてたけど独立し、30手前で日本を脱出するべく英語を学ぶことを決意し、現在海外の大学(経営学とコンピューターサイエンスのどちらかを学ぶ)へ入るべく奮闘中……という感じの人である。

 

 この人の記事を読んでいて、思想的に共感できる部分もできない部分もあるが、「30になっても『やりたいこと』について悩む人は悩むんだなぁ」という思いが一番強かった。彼の周囲でも家庭を持って子供をつくったり、より安定的な仕事に就いたりする人も多いそうである。だがしかし、この人は日本を脱出するという目標のために仕事をしながら勉強をしている(ここに関しての葛藤なんかは現在の私に通じるところもあったので、また別の機会に取り上げたい)。

 

 ホリエモンの『自分のことだけ考える』を尊敬する人から勧められて読んだ時にも思ったのだが、仕事としてやりたいことを考えたときに、必ずしも「やりたいこと」でないものでも、安定性や収入の面で選んでしまうという人は多いのだろうし、恐らく私もこの傾向にある。その根底にあるのは安定性や収入への信仰ももちろんあるのだろうが、根本には現在の「やりたいこと」への懐疑にあるのだと思う。

 

 「やりたいこと」が「本当にやりたいこと」じゃなかったら(本当にやりたいことなんて存在するのか)……? と考えると、やすやすと今の自分に耳を傾けることも躊躇われる。自分は裏切ってもお金は裏切らない、ただ昨今の社会状況を考えるとお金も裏切らないか怪しいな、といって安定すぎるのも退屈だ……と、現在と将来について思考のラビリンスに嵌ってしまう。最終的に結論としてでてくるのは、大抵「とりあえず今の目標設定で行こう」という妥協案か「ただ優秀であればよいのだ」という極論である。しかしこれらは何の答えにもなっていないのであって、問いは最初に戻る。というか20代の入り口でライフプランなんて立てれるか。ふざけるな。せめて就職してからか嫁さんができてからにしてくれ。先のブログもあいまって、自分がこれから「やりたいこと」に関する5W1Hみたいなものに絶えず悩まされるのだろうなという考えが段々確信になりつつある。

 

 少し前ならば、あれこれと他人を引き合いに出して、あいつが羨ましいだのこいつよりはマシだのと管を巻いていたところであるが、人付き合いの幅が狭まった分、マウンティングやメンヘラの被害者になることもなくなったおかげで、それほど他人を気にせず生きていけるようになった(と少なくとも感じている)。

 

 幸いにして、自分はまだ若い。体が悪いわけでもないし、決して経済的に恵まれていないわけでもない。まだまだこれから、焦らず考えていくしかないのか。