成すも成さぬも 今を楽しめ

この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

ジョギングの何が面白いのか

 

 

 今日は社会人の女性と食事する機会に恵まれた。ほぼ初対面にもかかわらず親しく接してくれた上、仕事に関しても、守秘義務に触れない程度に色々とぶっちゃけてくれた。全く有難いことである。

 

 そんな話はさておき、今回のお題はジョギングについてである。東京では老若男女を問わず、ジョガー達が皇居の周りを日夜走り続けて将門公を顕現させる儀式を行っているし、わざわざ皇居に出かけずともジョガー達はその辺の川べりや校庭、町中のいたるところに生息している。

 

 そして、今や私もその一人となった。気まぐれに走ることはこれまでにもあったが、ここ1ヶ月ほど健康のために週2,3回のペースで走っている。勿論走っているとはいえ早歩きの方が速いくらいであるため、若年ランナーはおろか中年ランナーにまで抜かれる始末であるが。

 

 正直、私は運動嫌いだったことも相まって、「ただ走ることの何が楽しいんだよww21世紀だぞww」と思っていたのだが、今ならその疑問に答えることができる。

 

「走ることが楽しいわけがない。だがジョギングに楽しみはある」と。

 

 まず、ジョギングを思い立ってすぐは、だいたい5~10分も走れば息が上がりわき腹が痛む(筆者のようなデブに限った話かもしれない)。一般に健康増進のためには20分以上は走れと言われるから、最後の方はその場で足拍子を踏んでいるような有様になる。中年には抜かれるわ、汗は流れるわで全く楽しいことなんて一つもない。本当は会話できるくらいの負担度で走るのがよいジョギングらしいのだが、運動不足のボッチランナーにそんな加減がわかるはずもない。

 

 しかし、慣れてくると話は少し変わってくる。同じコースを走っていて折り返し地点を回った時、まだ脇腹を痛めていない自分に気づく。ノリのいい曲に合わせて少しペースを上げても、もとのペースに戻せば走り続けられる自分に気づく。そうすると、イヤホンから流れるラジオトークやお気に入りの曲に耳を傾けられるようになる。

 

 この段階になっても、別に走ること自体は楽しくもなんともない。結果を出したい人ならタイムや距離を気にして向上心を燃やすのだろうが、こちらは健康のためくらいのモチベーションしかないのだから、それもアバウトである。今日は一つ向こうの交差点で折り返したなーとか、調子がいいからノルマ超えても曲の終わりまで走れたなーとか、そのくらいなのだ。走ることが「楽しい」のではなくて、走ることを楽にするのが「楽しい」。ある意味マゾヒスティックな楽しみがジョギングにはある。

 

 私の好きなギャラクシーというニコニコの実況主(現 株式会社バーグハンバーグバーグ ジモコロ編集部副編集長 ご結婚おめでとうございます。お忙しいとは思いますがラジオだけでも復活してくださると嬉しいです)が、「ジョギングは『マイナスをゼロにする』という点で登山と同じ楽しみ」と言っていて、何のことかよくわからなかったのだが、自分で体験してみてよくわかった。走るという苦痛を、イヤホンや靴といった器具や、慣れで何とか和らげる。そこに確かに楽しみはあるのだ。

 

 今でこそ私は通学用無線イヤホンと履き古した運動靴で走っているが、もし慣れの方が頭打ちになれば、イヤホンなりシューズなりに拘るのかもしれない。現状そこに割くお金はないが、それはそれで楽しそうではある。旅行の準備が楽しいように、ジョギングの計画を立てるのも楽しいものだ。

 

 ジョガーたちに善きジョギングライフを。