成すも成さぬも 今を楽しめ

この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

Internship⇒就職⇒?

 3年生の7月ともなれば、サマーインターンの面接時期だそうで、〇〇のWebテストがどうだったとか、△△の面接がテストと被ったとか、そういう話が聞こえてくる。

 

 「聞こえてくる」という他人事のような物言いで分かると思うが、私はどのインターンシップにも申し込んでいない。申し込もうかどうしようかと迷っているうちに申込期間が終わってしまったというのが正しい。

 

 ESを書いて、出して、テストなり面接なりを受けて、僅かな日当をもらって、「就業経験」を積んで、選考に関わる場合は選考に入れてもらって……というのが大まかな流れだが、何社か探してESを書いている途中で力尽きてしまった。

 

 むろん、経験至上主義者の私としては、やった方がいいという意見が優勢だった。しかし選考フローにのるとかのらないとか、面接を受けるための機会コストとか、そもそも来年恐らく本腰入れてやるよなという楽観とか、そういう考えが申し込みをついつい遅らせてしまった。

 

 

 受けてもないのに生意気だが、インターンシップ、特にサマーインターンがためになるのかと言われれば、正直損にはならないくらいでははないかと思う。専門職や選考に直結するなど、わかりやすい利益があるならまだしも、企業説明会に毛が生えた程度のものを受けるために着慣れないスーツ゚を着てビジネス街へ繰り出していくというのは面倒ではないか。もちろん、今年就活するつもりがないから言えることではあるが。

 

 就活を考えると憂鬱さが頭をもたげる。就職活動の長期化、早期化が勉学に支障をきたすと警鐘が鳴らされて久しい。経団連は解禁時期を遅らせてきたが、インターンシップやら内々定やら、結局学問に支障をきたしっぱなしではないかと思う。またそれ以上に、就活のために大学へ入り、学問は二の次という人も多いと思うので、そもそもの批判が的を射ているかというとそれにも首をかしげるほかはない。どのみち勉強しないのであれば、就活くらいしかやることはないのだから。

 

 皆で同じスーツを着て、同じフォーマットの履歴書を出し、集団面接を受けるというのは、剰余変数の(少なくとも見かけ上の)統制であって、「内面やスキルを見る」という就活の目的上、ある程度合理的なシステムなのではないかと思う。個性を無視した採用活動という主張にも一理あるとは思うが、集団的規範が既に成立している以上、それに単独で逆らうのは得策ではない。スポーツにせよなんにせよ、ルールが決まっているならばそれに合わせて練習するのがもっとも合理的だろう。

 

 だがしかし、就活は何も大学生から次のステージへ進むために必ず通る儀式というわけではない。院へ進んでもいいし、ボランティアをしてもいいし、起業しても、旅行をしても、家業を継いでもなんでもいいわけである。新卒一括採用というシステムは何のスキルも経歴もないそのへんの大学生を社内研修を通じてそれなりのサラリーマンにするという利点はあるものの、逆に他の選択肢を見えにくく、またより不安定にみせるという効果があるのではないか(この辺の議論は私がするまでもなく大卒就職の社会学 - 東京大学出版会のなかでよりレベルの高い議論がなされている)。終身雇用など夢のまた夢に、というかそれほど夢でもなくなった時代において、安易な就職はするべきでないようにも思う。

 

 などと賢ぶってみたところで正直なところ、ただスーツを着て頭を下げて受かったり落ちたりしたくないだけである。やるとなったらやるのだから今から面倒くさがっても仕方がないが、まあ長い長い愚痴を書くのも人間の性だ。

 

 目下自分がすべきはテストと勉強であって、今やらないことで将来に響かないことを今思い悩む必要はないのだ。

 

 とにかく、今日を乗り切ろう。