成すも成さぬも 今を楽しめ

この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

終身雇用の崩壊は何を意味しているか

 昨今、トヨタ社長の終身雇用無理発言が話題である。

https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00002/051400346/

 

 ちょうどそんな折に、ゼミの教授が少しこの話題に触れて、面白いなあと思ったので文章にしてみることにする。話の本質は適応の文脈から見る文化についてだったので、時事問題を取り上げていたわけではないが。

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 経営学の文脈では、日本的経営は終身雇用/年功序列/文脈特異的技能形成/企業内組合で特徴づけられる。このうちの文脈特異的技能形成というのは、労働者が特定の文脈に依存した技能を習得するもので、例えばトヨタの生産ラインの機械にめちゃめちゃ詳しくなるが、一方でマツダの生産ラインのことは全く分からないというような労働者が存在するようになるということである。

 終身雇用を前提として経営者の視点から見れば、長くいる間にこの文脈特異的技能を身に着けてもらった方がよく、またそれは労働年数によってある程度予測可能なので、当然長くいてもらうほうがよいことになって年功序列が誕生する。トヨタの生産ラインに20年務めあげた人の方が、入って3ヶ月のペーペーよりもその機会には詳しいので、当然前者によりよい待遇を約束するし、新人君も長く勤めて生産ラインのプロフェッショナルになることを期待されるわけである。他の会社に転職しても要求される技能は異なるために労働者の側にも転職のメリットが低い。(そして業界が同じでも企業を越えて評価・交流する仕組みがないために、組合も企業ごとに形成される)

 

 一方でアメリカ的経営はスポット雇用/任期制(どんな言葉を使っていたか覚えていない)/一般的技能形成/企業間組合によって形成され、日本とちょうど真逆の特徴を持つ。会社が労働者を短期しか雇わないことを前提とすれば、労働者は転職を考えるようになり、どの会社でも通用するようなスキル獲得を目指すようになる。有能な人間はそうしてどんどん転職していくから、企業側としては長く自社にとどまる人間を「無能」と捉えるようになる。(転職をベースに企業間の評価・交流が進むので)企業を越えて組合が形成される。

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 この後に「こういう形で文化を適応のシステムと考えるといいよ」みたいな話が続いた。教授も私も専門は経営学ではないが、上のようなことを前提として今回のことを考えてみたいと思う。

 

 日本式経営/アメリカ式経営を比較したわけだが、両者の終身雇用/スポット雇用のをそれぞれ前提としていた。しかし上の話にでてきた両者それぞれの4つの特徴のどれを前提としてもこの議論は導ける。つまり特徴はそれぞれ不可分といえるのではないか、というのが私の意見である。年功序列もあって、文脈特異的技能を要求して、企業内組合もだけど終身雇用だけはないですという企業は存在しえないのではないかということである。もちろんこれは淘汰が進めばの話であるから、その過程においてそうった企業が存在することはあると思う。しかし市場原理が自然界の法則のように働くのであれば、やがてアメリカ的な経営へ移行していくのではないか。

 

 そうした淘汰が進んでいくとしたとき、労働者の立場としてはどうすればよいのだろうか。先ほど挙げたそれぞれの経営システムの特徴であった特異的技能/一般的技能の説明を思い出してほしい。転職を考えるならば、どこの会社でも通用するより一般的な技能を身に着ける必要がある。それはプログラミングの知識であったり、法律の知識だったり、会計の知識だったり、公的な資格だったり、何かの経験だったりするだろう。そういったものの一番わかりやすい指標は「資格」である。よってこれからは、学生の受験戦争のように、社会人の間で資格戦争とでもいうようなものが激化していくのではないか。

 

 などと、就活しない学生の妄想を並べ立ててみた。ここまでの話になんら学問的根拠はない。終身雇用の崩壊は叫ばれて久しいし、なにも明日からオジサンオバサンたちが首切りに合うわけではなかろう。上で述べたような淘汰が急に進むわけではないだろうから、所謂「逃げ切り」どころか「余裕でゴール」できるかもしれない。ただ、悲観的に考えるならば、資格戦争がやがて起こることを仮定して、堅実な資格をより競争力の低いうちに取っていくというのが適応的な戦略ではないかと思う。もちろん、なにが堅実なのかという議論はまた別で、私は真逆の道へ進もうとしているのだが……