成すも成さぬも 今を楽しめ

この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

Everything must go

 "Hearts Beat Loud" という映画を見てきた。長年続いてきた家業のレコード屋の閉店と娘の大学進学に伴う旅立ち、人間関係のごたごたやら親の認知症やらが同時にやってきて、夢をあきらめきれない中年主人公が翻弄されていく映画だった。超名作とはいえないが、音楽をテーマにした作品でもあり、曲が非常によかった。

 

 6月も梅雨らしい梅雨を迎えないまま終わろうとしているが、私も進捗という進捗を上げていない。卒論のテーマは決まらないし、TOEFLの勉強も芳しくない。人間関係も狭まっていくばかりで、運動もなかなか習慣づかない。ないない尽くしの日常を送っている身分としては、冒頭の映画の主人公の在り方には共感できるものがあった。

 

 結局、どうしようもないのである。一時的に何かに力を入れることはできても、それが状況を劇的に変える手段となることは稀ではなかろうかと思う。そもそもあちらを立てればこちらが立たずで、極端なことはなかなかやりにくい。そうして生活のバランスを何とか保とうとしているうち、時間はどんどんと過ぎていく。

 

 生産的になれないものかとインスタグラムを消してみた。Twitterのアカウントも消してみた。その結果どうなったか? Youtubeを見る時間と公園で虚空を見つめる時間が増えた。自分を人一倍自堕落だとは思わないが、勤勉であるとも思えない。

 

 日本を「脱出」したいという気持ちはあるが、これも大方現実逃避の意味合いが強い。妄想に近いかもしれない。それは実現可能性が低いということももちろんだが、それ以上に一度ことがうまく運んだあとは必ずその後も成功し続けるだろうという非現実性のためである。

 

 漠然と、こうしたい、こうはしたくない、という気持ちがある。それに基づいてやることを決定する。しかしやりきれることは少ない。意志が弱いのだということにして話を終えるのは簡単だが、意志の強さというのはとどのつまり、生活の中の様々な要因によって熱意を醸成しまた適切に振り分ける力が左右されるという大原則の上で観察される、ある事柄に関しての熱量に過ぎないので、結局あることがらに対して意志を強く保つためには生活全体を見直さなければならないだろう。そして生活を送りながらそれを根本的に変えることは、ちょうど走っている車に乗りながらエンジンの不調を点検しようというようなもので、まったく不可能であるか場当たり的な対応になることが多い。

 

 だから流されていくしかない。自分の意志でどうにかならないことは諦めるしかない。そして自分の意志でどうにかできることなどないのだ。

 

https://www.youtube.com/watch?v=IwOfCgkyEj0