成すも成さぬも 今を楽しめ

この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

172日目:骨と心が折れた。

 2週間前、骨を折った。いつも通り大学に投稿する途中に凍った歩道で足を滑らせ、足首の巻き込み方が悪かったのかポッキリ逝ってしまった。当日は気づかないまま帰ったのだが、翌日になっても痛みが治まるどころかひどくなったため急遽保険会社に連絡して病院へ向かった。レントゲンを撮ったところ手術が必要かもしれないと言われ、別の病院で専門の医師による検査が必要と言われた。その病院への連絡まではしてくれたものの、滑って足を負った患者に松葉杖だけ渡して15キロ離れた病院へ行かせるのは正直驚いた。

 

 

 タクシーを拾って行った病院での検査の結果、一週間後に手術をおこなうことになった。それまでは自宅で安静にしていることが必要だと言われ、手術の日まで足を高く上げてベッドの上で何をするでもなく過ごしていた。手術が終われば大丈夫と言い聞かせること、日がな一日ビッグバンセオリーを見続けることでなんとか耐えていた。

 

 

 手術の日は朝から病院に向かい、全身麻酔をかけられての手術だった。術後大部屋に放り込まれたのだが、隣のおじいさんが明らかに死にかけで、家族一同が別れを告げに来ていた。「助けてくれ!」「誰か! どこにいるんだ!」と叫び続けるおじいさんの姿には、同情というよりも、自分が死ぬときはこんなみっともなくは死にたくないものだなと、どこまでも他人目線で考えていた。

 

 

 手術から帰り、日常に帰還できると心のどこかで考えていたが、ことはそう単純ではなかった。ヘルシンキの道は雪から氷へとその装いを変え、しばらくは変わる見通しがない。試しに松葉杖と車いすでの外出を試みたが、どちらも失敗に終わった。医者の話では歩けるようになるまでは少なくとも6週間かかる見通しだそうである。つまりは3月の終わり。雪が解けるのも早くてその時期らしい。それまでは自宅での生活である。

 

 

 実は自宅から出なくともそれほどスケジュール的な差支えはない。元々ヘルシンキは遊べる施設が少ないし、遊ぶ機会もどんどん減っていた。授業に出れないのは残念だが、重要な授業のうちの一方はオンライン授業だしもう片方は教授との交渉次第で実験器具の操作方法くらいは教えてもらえるのではないかという気がしている。

 

 

 しかし精神的にはまた別の話だ。現状でも友人同居人に家事や買い物を代行してもらっている状態であり、これが良心に応える。なにせ自宅近辺が(住宅会社の管理が行き届いていないせいで)一番危険なのだ。外出ができないまま自宅に半ば幽閉されたままというのは気が滅入るではないか。

 

 

 ということがあって、ここ数日なにも手につかなかった。足を安静にしていなければならないこともあって座ることもできない日が続いたのだ。しかしながら、いつまでもそうしている訳にもいかない。何かを考えたり少しでも勉強するのがせめてもの心の慰めとなろう。明日からはスケジュールをつくって励むつもりである。

 

 

足が動いたからといってなにか偉大なことができたわけではないだろうが、さりとて機会が失われるとひどく損した気分になるのだから、人間というのはおかしなものだ。