成すも成さぬも 今を楽しめ

この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

将来を見据えて婚約したという友人へ

 

 この間頂いたご連絡で、私がどれだけ幸せに感じたか、あなたには想像できないかもしれません。というのも、あなたとの友情は随分長いものになりますが、これほど大きく、そして喜ばしい知らせが我々の間にもたらされたことはかつてなかったのですから。あなたがその幸せな婚約者について、言葉の限りを尽くして讃えようとしている場面には過去に私も居合わせておりましたし、当然二人の仲がさらに進んでいくだろうということは想像しておりましたが、今回のようにそれがある一線を越え、次の段階へと進んだことを知らされると、なんとも心が暖かくなって参ります。さて、私のような男やもめからあなたがたに言えることはないに等しいのですが、この間あなたが「将来のことを考えて」とおっしゃっていたことが少し気にかかったのでお手紙を送ろうと考えた次第です。

 あなたがお考えのように、この婚約はあなたがたが歩む輝かしい街道のほんの始まりに過ぎないに違いありません。お相手のお人柄に関しては、私が人付き合いに無精なために知る機会を失し続けておりますが、あなたのお話を伺っている限り、非常に才気に溢れ、人間的に優れた方なのだと思います。またあなた自身も、若さからあふれる情熱を持ち、それを研究に向ける姿が非常に魅力的で、私が心から尊敬する方々のうちの一人なのです。そのようなお二人が結ばれたというのは、偶然というよりはある種の必然といっても過言ではないでしょう。

 しかしながら、私はあなたに対してやっかいな事実を告げねばなりません。それはポリビュオスが書き留めたスキピオの言葉からも察することができます。「今われわれは、かつては栄華を誇った帝国の滅亡という、偉大なる瞬間に立ち会っている。だが、この今、私の胸を占めているのは勝者の喜びではない。いつかは我がローマも、これと同じときを迎えるであろうという哀愁なのだ。」かの大英雄がカルタゴを滅ぼした際、勝利の喜びを感じることなく、いつか訪れる自らの祖国ローマの滅びを思って嘆いたというのはまったく悲劇というより外にありません。およそ賢人と呼ばれるような人ほど、このように未来のことを明快に想像することができる知的能力のため、暗い未来に思い至って気分が塞いでしまうといったことがあるようです。しかしながらあなたもご存知の通り、スキピオは自らが予見したローマの滅びが訪れる前に、政敵カトーに敗れて失脚し、失意のうちに亡くなってしまいます。かの英雄の生涯について、私のような小人が申し上げるべきではないのですが、無粋なことは承知の上で現代の基準に当てはめれば、それほど幸せとは言えないでしょう。自らが最も喜ぶべきときに悲しみ、その果てに自らも予見しない最期を迎えたのですから。およそ喜びの頂点に合っても驕らないというのは賢者の美徳でありますが、驕りを避けようとするあまり悲観を呼び込んで喜びを遠ざけてしまうのは、偉大な人物に特有の不幸と言えましょう。

 また人類の歴史という分厚い書物を紐解いても、およそ今日ほど先の見えない時代はないように感じられます。我々は戦争が起きるかもしれないというような大きな恐怖や、明日のパンが食べられないといった不安からは解放されたといっていいようですが、その代わりに、10年後の自分が今と同じ暮らしをしているのではという不安や、我々の子や孫は我々のように暮らせるのだろうかという心配をするようになりました。こうした不安は根拠となるような材料が乏しく、また現在との連関が薄いためになかなか理論的に解決できるものではない、ということがお分かりいただけると思います。最近神経学者や心理学者たちが明らかにしたところによれば、我々は将来の利益や損失、すなわち「今ここ」から遠い事象を正しく予測することがあまり得意ではないそうです。将来の利益や損失は、実際のそれより大きく見えたり小さく見えたりします。動物的な本能というものがあるとすれば、10日後に手に入る肉の塊より、今この時の飢えをしのぐ一切れの肉のほうがよほど重要だと判断することは、なるほど合理的と言えます。しかし今我々を悩ませている不安というものはより高次な、抽象的な不安ともいうべきものであって、その不安について明日の食べ物についての不安と同じような気持ちを抱くのはまちがいというべきでしょう。

 加えて、我々が扱える情報は電算機の驚異的な進歩で指数関数的な増加を遂げましたが、そのような情報量をもってしてもなお、未来のことを見通すことは世界中の叡智を集めても不可能なようです。先のアメリカ大統領選挙においてトランプ氏が大統領に当選したことは、世間の予想を裏切るものであったし、専門家たちが警鐘を鳴らし続けている地球温暖化ということについても、一部の扇動家を除けば、正確な予測を立てたというような主張をする報道を耳にしたことはありません。このような世間の人々の注目を集める事柄であっても予測は困難なのですから、様々な要因が複雑に入り組んだあなたの将来については、いくらあなたが類まれなる素質に恵まれているといっても、聖書の預言者でもない限り予測することはできないでしょう。

 誤解してほしくないのですが、私はあなたがたの幸せに水を差すつもりはまったくありません。それどころか、この祝福の気持ちをどうにかしてあなたに伝えたいと考えています。ただ、あなたの計画している将来というものが、あなたという知的な人間にはふさわしくない臆見によってもたらされていると感じたために、その臆見のむなしさというものについて、恐れ多くも記した次第です。あなたとお相手を結んでいる愛は、真実のものでしょう。そしてその愛は、あなたがたそれぞれの人間的な魅力に加えて、お互いを尊重しあい、言葉を交わしあった結果として生じたものであって、臆見に基づく将来からの卑しい打算によって生じたものではないと私は信じています。ですから、あなたがた自身が、未来のことを持ち出して現在を楽しまないよりは、現在の愛について考え、それを心ゆくまで深め、愉しんでほしいという、これは私の心からの願いです。尤もこの愛という分野に関してはあなたの方が大先輩で、万事よくご存知でいらっしゃいますし、私のようなものがあれこれと言って自らの無知を曝け出して顰蹙を買うような事態は避けたいと願うので、これ以上私が申し上げることはありませんが。