成すも成さぬも 今を楽しめ

この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

90日目:メデューズ号の筏

 今日は近所に住んでる日本人とカレーを作ろうかという話になり、我が家で作ることになった。せっかくなので色々な人に声をかけていたのだが、用事やら病気やらで来れない人が続出し、蓋を開けてみたら日本人(日本語がネイティブ級の人)ばかりになってしまった。さらに悪いことに、友達がその友達を誘うという雪崩式の結果、参加者が10人前後にまで膨れ上がってしまった。

 

 元々の予定が気の置けない友人たちと少人数で卓を囲むというものだったので、大人数が和気あいあいとしている飲み会のようなテンションは受け付けなかった。それでも、たまに日本人同士で集まるのも悪くないかもしれない、くらいのつもりで楽しもうと思ったのだが、どうにも虫の好かない人間というものはいるものだ。

 

 彼らの何が気に入らないのか。日本語がわからない人間がいるのに日本語で通そうとするところか、強引なイジりをしてくるところか、英語の発音が酷すぎるところか。具体的には色々挙げられるが、恐らく抽象的には「調子に乗っている」=「自分に自信を持っている」という点が気に入らず、それは結局自分に自信のないことの裏返しでもある。

 

 他国の友人であれば、やはり比較できる点の方が少ないために気にならないことが多いが、やはり母国語で、完全な意思疎通ができる中で、彼らの背後に潜む自信を覗いてしまうとどうにも腹立たしいというか、妬ましさのようなものを感じる。別段他人が何をしていようと気にするべきではないのだが。

 

 また、私も含めて日本人全般に言えることだが、内集団としての連帯を強く持とうとしており、外集団排斥の傾向がやや強い。「こないだ〇〇人がこんなことしてたんだけど、ちょっとねー」といったような会話は日常茶飯事である。また、権力闘争というほどでもないが、所謂イジリイジラれ役を始めとして、ちょっとしたマウンティングのようなものも横行している。

 

 日本人グループというのは、少なくとも私にとっては今の社会的セーフティーネットの1つであり、そこから排除されるということは可能な限り避けたい。また幾人かは他のセーフティーネット集団にも所属しているため、一度破綻してしまえばテトリスさながらに連鎖消滅してしまう恐れもある。

 

 同胞であるという認識を持ちながらも、内部での力関係の推移があり、それなしで私は恐らく生きることはできないというのは、まことに厄介なものである。とはいえ今から他に生活を拡張するのも難しい。希望か絶望が見つかるまでは耐えるしかないのだとも思う。