成すも成さぬも 今を楽しめ

この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

112日目:『風と共に去りぬ』を見た

 すっかり冬休みである。もともと授業を2つしか取っていなかったため暇だったのだが、それでも名実ともに休みというのは嬉しいものである。また来学期にようやく面白そうな授業を発見したためソレの準備も兼ねて勉強をやっと始めることができた。

 

【以下、ネタバレを含みます】

 

 今日はそんなこんなで短いながらも勉強していたのだが、前に友人から『風と共に去りぬ』を勧められていたことを思い出し、なんとなく見ることにした。3時間映画だと思っていたらなんと4時間映画だったので現在進行形で睡眠予定時間を過ぎているのだが、まあそれもまた人生である。

 

 あらすじやら批評やらは幾らでも探せば出てくるので割愛するが、私が受け取ったこの映画のメッセージとしては、「人間どうあがいてもクソだが、何があっても人生は続く」というものだった。好きな人に愛してもらえなかろうが、南部が降伏しようが、財産がなくなろうが、最愛の娘が死のうが、親友が死のうが、夫に逃げられようが、とかく人生というものは続いていくのである。そういう意味でスカーレットの"Tommorow is another day!"には万感が込められている訳だが、スカーレットを取り巻く人々も大変な思いをしている。メラニーは出産早々死にかけるし、親は死ぬ。アシュリーは貴族同然の暮らしから一転、友人の下で働くことになるし、レッドは金こそ持っているものの、惚れた女の心をいつまでも掴めず、最愛の娘も亡くしてしまう。人生のどん底とも思えるような瞬間を幾度となく経験しているに違いないのだ。

 

 メラニーのように生きられたら、と思うが、聖女のようにはなかなか生きられないものだ。スカーレットはたくましさに惹かれつつも自己中心的な点に辟易させてくれるまさに誰もにとって鏡となるようなキャラクターである。またレッドとアシュリーはそれぞれ別の理想の男性像を演出してしているが、どちらも幸せにはなり切れない。不幸が誰かを襲うたびに彼らはそれぞれ苦しむが、乗り越えられるか否かに関わらず、事態は次の局面へと移っていく。

 

 アシュリーがスカーレットの気持ちにこたえていたら、メラニーが馬車で死んでいたら、レッドの気持ちにスカーレットが早く気づいていればなど、彼ら自身も色々なたらればを考えるとは思うが、第三者的に見ればそれはどうしようもないものであって、彼らの人生は時に喜劇であり時に悲劇である。メラニーは「人の噂は気にしない」と言っていたが、実は他のメインキャラクターも自分の人生を生きるのに必死で(自分にとって重要でない)他人を気にしていないので、そういう風に生きられたらなぁと思う。

 

 また別の話だが、ボニーの落馬からレッドが引きこもるところまでは滅茶苦茶泣いた。ボニー誕生後はスカーレットにも子供いるのに恋だのなんだの言うんじゃないよとも思っていたので、私はきっと子煩悩になるのだと思う。