成すも成さぬも 今を楽しめ

この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

35日目:「日常」の再構築中

 朝起きて、大学に行って、昼飯を食って、また授業を受けて、帰りにスーパーに寄って、夕飯作って食って寝る。これが生活の基本パターンである。しかし、サウナに行ったり、イベントに出かけたりと想定外の予定が舞い込むことも多く、どこまでが日常でどこからが非日常かの線引きがまだ明確でない。強い異国感やカルチャーショックを感じたりすることはあまり起こらなくなってきたが、それでも「日本にいないんだなぁ」という、しみじみとした実感が起こることはある。

 

 一人の時間、というものは確実に減った。なんだかんだ同じ授業を受けている友人と飯を食うことも多く、家に帰っても同居人が何かしらしている。相互不干渉がなんとなく形成されることも多いが、何かあった時に他人がいるという安心感は、自分が一人であるという安心感より大きい気がする。独りになる時間は日中に作ろうと思えば作れるので、食事中にたまに排泄音が聞こえてくること以外の不満はない。

 

 しかしイベントに出かけて行ったり、友人と飯を食ったりする機会は日本にいた頃より確実に多く、逆にあの頃の、勉強もせずバイトもせず、なのになんだか忙しいと感じていたのはなぜだろうと考えてしまう。やはり学部後期特有の閉塞感があったのだろうか。しかし2年次、下手をすれば1年次の後期からすでに倦怠の渦には飲まれていた気もする。それを環境のせいにしてしまうのは簡単だが、一方で新しいことをやろうとして失敗し続けてきたという悲しい現実が透けて見える。一つのところに腰を落ち着けるということをせず、あちらへこちらへと食指を伸ばした挙句、拠点を増やすどころか全て失ってしまった、というのが自分史の解釈では最も有力である。翻って考えれば今の私に必要なのは一所懸命に所領を得、それを守る御家人の心であって、まだ見ぬ島々を夢見る開拓者の心ではないのではないか。しかし自分は今未知の場所にいて、なおかつ時間も限られている。そうであるなら、むしろ開拓者を続けるのが正しい選択なのではないか。むろん開拓者も最後には土地や財産を得て土着するのだ。まだ十分でないと思うならば、非日常のなかに身を置き続けるのもまた一興だろう。もちろん、体力の許す範囲で、という条件が付くが。